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 ふたつのトラウマ



最近、愛を告白することを「コクル」と言うらしい。
高校2年生の二学期に、となりのクラスに転校生がやってきた。
名字はOさん、名前がエツコを言った。
一般的には悦子と書くのだが、その子の場合悦と子の間に月が入っていて、「悦月子」だった。
スタイルは抜群でエキゾチックな感じを醸していて、すぐに人気者になっていた。
どこか、ジュディ・オングに似ていた。
言い寄る男子学生が多かったようだが、特定の男子と付き合っている様子はない。
秋が深まる頃、九州への修学旅行があった。
神戸を船で出発し、別府、雲仙、長崎を回る4泊5日の旅だった。
2泊目の雲仙のホテルは静かな山間にひっそりと建っている。
そこへ500人近くの高校生が泊まると、急に賑やかになった。
夕食が終わって、それぞれが自由な時間を過ごす。
仲間同士で部屋に集まってトランプをしたり、女の子と話をしたり…。
ボクはしばらく仲間の輪に入っていたが、退屈になって剣道部の仲間だった清水くんと外を散歩することにした。
ホテルの周りは公園になっていて、散歩には最適だった。
空気は澄んで、ひんやりとしていた。
ところどころに男女らしき黒い影が見えた。
ボクたちはなんとなく公園をぶらつく。
その時、後ろから女の2人連れが歩いてきた。
そのひとりは悦月子さんだった。
清水くんが「あの子、例のOさんと違うか」という。
「例の」と付けたのはさっき部屋の中で、転校生の可愛い子として話題に上っていたからだった。
悦月子さんたちもなんとなく公園をぶらついている。
歩く速さはボクたちと同じで、ボクたちとの距離は一定に保たれていた。
ボクと清水くんの会話は後ろにいる女の子2人が気になったせいか、少し途切れがちだった。
しばらく公園を歩いていたが、ボクたちはコースを変えてホテルへ向かった。
そうすると、悦月子さんたちもボクたちの後を追うようにコースを変えた。
高校生というのは人生に対する期待が大きな年頃で、自分の技量や風体を考慮することなく、信じがたいような幸運が自分だけに舞い降りてくるという極めて不合理な錯覚に陥っているものだ。
ホテルのフロント近くにゲームセンターがあり、ボクたちは意識しながらその中へ入った。
スマートボールやパチンコなどのゲーム機が隙間なく並んでいる。
部屋の端にはジュースの自動販売機があり、清水くんはよく飲んでいたコカコーラを避けて、バヤリースオレンジを買い、ボクも同じものを買った。
その頃、コカコーラには発ガン性物質のチクロが入っていると話題になっていた。
ゲームをしているのは数人だけで、意外にも空いている。
ボクは1台のゲーム機の前に立って、ゲームを始めた。
それは下の穴に抜けないように、ボールをはじきながら点数を増やしていくものだった。
すると、悦月子さんがボクの横に立って、ボクがゲームをしているのを観ているのだ。
ゲームにするどころではない。
ボクの目はボールを追うよりも、ゲーム板のガラス面に写っている悦月子さんを意識していた。
3つあるボールはボクが防御するにも関わらず、万有引力の法則に従い一番下の穴に消えていった。
「難しそうね」と悦月子さんが呟く。
「やってみる?」とボクが言う。
ボクは素早くポケットから硬貨を出して、ゲーム機に入れた。
「じゃ」と言って、悦月子さんはゲーム機の前に立った。
ボールはゲーム板の上を転げるが、あっけなく穴に消える。
「あら、嫌だわ、どうしましょ」と悦月子さんがボールを目で追いながら、艶っぽい声を上げた。
その「嫌だわ」というお嬢様言葉大阪弁を聞き慣れたボクにとって新鮮な響きだった。
ゲームが終わると、はにかむように笑みを浮かべ、言葉に詰まっているボクの肩口を通り過ぎていった。
「お前、何を喋ってたんや」と清水くんが近づいて来て言う。
「いや、ただゲームしてただけや」とうわずった声で答える。
「おい、あの子、お前に気があるんとちゃうか」と言った清水くんの言葉はボクの大いなる誤解を増幅させてしまう結果になった。
それまでボクは林さんという同じクラスの女の子が好きで、修学旅行にコクってみようかなと思っていたのだ。
それが一瞬にして、悦月子さんへと気持ちが傾いていったのである。
それ以来、林さんはきれいさっぱりと頭の中から消えてしまい、「あら、嫌だわ、どうしましょ」の声が脳の奥底にへばりついて離れない。
ボクはそれまで酒井和歌子のファンだったが、その時からジュディ・オングのブロマイドを集めるようになってしまった。
現金なもので、悦と子の間に月が入っていることさえも美しく感じてくる。

冬が来て春になり、3年生になった。
ボクたちの高校はほとんどの学生が大学への進学を希望する受験校だった。
その頃、大学から流れてきた学生運動の波が我が校にも襲ってきた。
何度も学生集会が重ねられ、壇上で校長や教師たちが批判の矢面に立たされていた。
その論点は今では思い出せない。
恐らく、点数のみで人間を評価していく教育の在り方に対しての批判だったように思う。
しかし、より高い点数を勝ち取ろうと大学を目指している以上、その批判は矛盾に満ちていた。
東大を頂点にした学校教育の中で、ちょっと抵抗しただけの悪ふざけでしかなかった。
騒がしい構内の雰囲気から離れて、国公立に目指して必死で勉強に励む者や適当な志望校で手を打って学生生活を謳歌するものもいた。
ボクは中途半端だった。
受験科目の少ない私学を志望校にして、麻雀を覚え本を読み映画を観、夏には三朝温泉までストリップを見るため旅行に出かけた。
その間、悦月子さんへの思いが積もってくる。
ノートの片隅に名前を書いて何度も消したり、答案用紙の裏に似顔絵を描いたり…。
となりのクラスなので廊下で頻繁に出くわすし、全校集会の時にはいつも近くに座ることになる。
ボクは挨拶を交わすわけでもなく、ただうつむいてチラッと上目使いで見る。
悦月子さんもこちらを見ている。
確かにこちらを気にしている。
ボクのことが気になるのだ。
激しい思い込みは根拠のない錯覚を産み出す。
ボクが見ているから、悦月子さんも視線を感じて目を向けたにすぎなかった。

騒々しい雰囲気の中で、秋が過ぎ冷たい冬が来る。
学生運動をしていた者も、ひたすら勉強していた者も、学生生活を遊びで謳歌していた者もそれぞれの志望校目指して、受験戦争にかり出されていく。
ボクは志望校の一つに引っかかり、早々と進路が決まった。
2月半ばになると登校日は徐々に少なくなり、悦月子さんに出会う機会も少なくなった。
この先、進んでいく道は分かれ、もう二度と会うことはないかもしれない。
もう一生会えないかもしれない。
会えないに違いない。
そんな思いが胸の奥深くで疼く。
卒業の日が近づいたある日のことである。
校門近くで友達と話をしていると、 下校する悦月子さんが校庭を通り校門に向かってくる。
そして、平然とボクの肩口を通り過ぎていく。
何とかしなければならない。
心の器からこぼれそうになった感情が告白へとかき立てていく。
「ちょっと、告白してくる」と、話していた友達に突然告げると、ボクは悦月子さんの後を追いかけた。
友人たちは呆気にとられて、ボクの後ろ姿を見守っていた。
1年余り見守っていた悦月子さんの後ろ姿が今、前を歩いている。
50メートルあった間隔が30メートルになり、20メートルになり、10メートルになる。
そして、信号が赤になり悦月子さんは立ち止まり、ボクは追いついた。
「あのぅ、ええっと、前から君のことが、あのぅ、好きやったんです」
「えっ」と悦月子さんは驚いてボクを見る。
<あら、嫌だわ、どうしましょ>とはにかみながら、顔を赤らめるのを想像していた。
<卒業しても、会ってください>なんて言葉も用意していた。
だが、悦月子さんがポロッと発した言葉は余りにも残酷な一言だった。
「あなた、誰?」
「えっ」
ボクはあんぐりと口を開き、次ぎの言葉を失った。
信号が赤から青になり、悦月子さんは呆然と立ちつくすボクを残して歩き去った。
恋は勘違いの集合体である。
ショックとともに、ボクは人生の教訓を知った。
その経験はボクの心に大きな切り傷を与え、今もかさぶたになって残っている。
だから、いまだに女のヒトとまともな会話が出来ない(ような気がする)。


久しぶりにチエちゃんとタカちゃんが我が家にやって来た。
チエちゃんは母方の叔母さんで、タカちゃんは以前パン屋の従業員として働いていた人である。
ふたりはボクの両親を交えて、昔話に花を咲かせていた。
「あの時はエライ目に遭ったな」とチエちゃんが言う。
「ほんまやな、あれは大変やったな」とタカちゃん。
ふたりは顔を見合わせて、うなずき合う。
あの事件
脳裏に40年以上も前の悪夢が甦ってくるのだ。
小学校の低学年だった。
パン屋の店先で遊んでいたボクに、「梅田の百貨店に行くけど、付いてくる?」とチエちゃんが声を掛ける。
百貨店と聞いて、ボクは「行く」と強くうなずいた。
何を買ってもらう訳でもないが、梅田の百貨店は子供にとっても行くだけで楽しい場所だった。
それに昼ごはんは阪急百貨店の食堂で、名物のカレーライスを食べることが決まっていた。
チエちゃんとタカちゃんとボクの3人は阪神尼崎駅までバスに乗り、阪神電車で梅田に向かった。
車窓から尼崎の工業地帯の煙突から煙りがたなびいているのをみていたボクに、かすかな不安が生じた。
下腹のあたりに、重くどんよりとした痛みが襲ってきたのだ。
しかし、痛みはすぐに治まった。
大丈夫やな」と安心する。
梅田の百貨店に着いて、名物のカレーライスを食べた後、オバサンふたりの買い物に付いて店内をうろつく。
するとまた、重たい痛みが下腹を襲ってきて、全身の力が抜けてくる。
ボクはオバサンたちと離れて、階段横にある椅子に腰かけ、暗雲が通り過ぎるのを待った。
近くにトイレがあった。
入ってすっきりしたほうが良いかもしれない。
その頃のボクは悲しいかな、家のトイレでしかウンコをしたことがなかった。
もう少し我慢しようと思っていると、嘘のように痛みが引いていく。
が、しばらくすると再び、痛みが襲ってくる。
<ここらあたりで処理してしまったほうが良いかもしれない>
<いや、まだ、大丈夫、家までは保つかも…>と気持ちは揺れ動く。
危ないが今は大丈夫だと、取りあえず、問題は先送りにする。
この優柔不断さがとんでもない悲劇を招くことになる。
これは銀行の不良債権処理を先送りにした政府の態度に似ている。
その態度がその後の日本をどうしようもない状態に導いていくのである。
ボクの不良債権は定期的に下腹を刺激し、痛みの間隔は徐々に短くなっていく。
<家はもうすぐだ>
<もう少しの辛抱だ>と自分に言い聞かせながら、電車は阪神尼崎まで帰ってきた。
限界は突然にやって来る。
<注:ここから数行は不浄、醜悪、汚泥、臭腐といった表現が含まれているため、公開するのを躊躇しました。この先を読みたいという物好きな方はカーソルをドラッグし反転させて読むか、テキストにコピーペーストしてからお読み下さい>
改札口で切符を手渡すその時だった。
次々に降りてくる不良債権の重みに絶えきれなくなった肛門括約筋は、その収縮を突然ゆるめてしまったのだ。
爆発、噴射、濁流、奇襲…。
噴火し流れ出した火砕流を誰も止めることは出来ない。
「アッ、出る」と言った瞬間、黄土色と化した液体がボクの幼い足を伝って、タイル一面に広がっていった。
駅員は唖然として流れ落ちる液体に目をやり、通行人たちは立ち止まる。
その時のボクは犯した罪の重みを感じるよりも、緊張から一挙に解き放たれカタルシスの中にいた。
恥ずかしさよりも、不良債権を一気に処理できた喜びで立ちつくしていた。
「わっ」
「やっ、やりやった」
「ババしよったで」
遠くで声が聞こえる。
その中に混じって、チエちゃんが「あんた、なにすんの」と叫んでいた。
ボクは我に返り足元を眺め、自分がとんでも無い状態の中にいるのを知った。
チエちゃんとタカちゃんは駅員に何度も頭を下げていた。
それから、どうして家までたどり着いたか覚えていない。
その惨劇は胸の奥にトラウマとなって残っている。
だから今でも改札口を通る時、緊張で身体がこわばる。
特に肛門括約筋が。


ところで、ウ
ンコをまき散らすことを「ババル」というのだろうか。