●TOP 

菜の花のラビリンス



あんこと牛乳のおもてなし

以前、闇なべを経験した。
まず、部屋を真っ暗に、ダシの入った鍋を用意する。
ダシの味付けは味噌でも昆布でも鶏ガラでもなんでもいい。
参加者はその中に自分の持ってきたものを、そっと入れる。
当然、中に入れるものは食べられるものに限られる。
グツグツの鍋が音をたて、出来上がったら暗闇の中で食べ始める。
参加者は何を食べさせられるか分からない。
条件が一つある。
一度箸でつかんだものは食べなければならないのだ。
ボクは食事について、かなりデリケートなので、何か分からないものを口に入れるというのがどうも苦手だ。
テレビで下手物食いの番組を見るにつけ、つくづくレポーターになれないと思ったものだ。
その時は付き合いだから仕方なく、恐る恐る口に運んでいた。
突如、箸は小さな黒い塊をつかんだ。
かざして見るが、暗闇の中で分からない。
つかんだからには口に入れなければならず、恐る恐るかじってみた。
歯ごたえがあり、甘辛い。
「あ、それ、私が」と正面で食べていた女の子が言った。
「何や、これ」と言いながら、ボクは覚悟して口に放りこんだ。
「それね、イナゴ」
口の動きが止まった。
その食べ物はイナゴの佃煮で、群馬の実家から送ってきたものだった。
「美味しいでしょ」と言うのだが、ボクは飲み込むのに必死だった。

ご当地の食べ物は風土や文化を背景にして、それぞれの地域の特産として作り出される。
異種の文化から産み出されたものはその文化の外から見ると、当然理解しがたいものもある。
マスコミが発達した現代では異種文化に触れることが容易なため、違いに対する驚きも和らげられているのだが、豚の顔を細かく切って食べる沖縄の「チラガー」や菊の花を茹でて食べる新潟の「かきのもと」などを目にすると、食文化の違いを痛感する。
同じ日本の中でこれなのだから、世界に行くと「ゲテモノ」への驚きは計り知れないに違いない。
世界闇なべ大会なるものを企画したら、ワニ、カンガルーの肉の合間からさそり、たがめに、ゴキブリや蜘蛛が入っていたりすることだろう。
ゲテモノを「美味しい」と感じる人がいて、その味が後世に伝承された結果、今も珍味として存在している。
今でこそ、寿司は世界で食べられているが、以前は<ご飯に生魚を乗せて食べる>、一種のゲテモノ食いだった。

「今日、田舎から来るオッチャンな、変わったものが好きなんや」
小学生の時、母親は田舎からやって来るオジサンのことをそう言った。
ボクの家はパン屋をしていて、パンの他に和菓子や洋菓子も製造販売していた。
店では牛乳を売っていたし、和菓子の工場では饅頭につかう粒あんがあった。
そのオジサンはアンコをおかずにし、ご飯に牛乳をかけて食べるのだという。
ボクはオジサンがやってくるのを楽しみに待った。
昼ご飯時にオジサンはやって来た。
母親はさっそくアンコを皿にのせ、ご飯の横に森永の牛乳を置いた。
母親とボクと姉はオジサンが白いご飯に牛乳をかけ、ゆっくりとアンコを箸でつまむのを奇異な目で眺めていた。
ボクは今でも、その時のオジサンの幸せそうな顔を覚えている。
その後、あんパンに牛乳を付けて食べるヒトにはお目に掛かったが、このオジサンのようなグルメには遭遇していない。

テレビは実に料理番組が多い。
俳優やタレントから、政治家までもが番組に出演し、自慢の料理を披露したり、気の利いた料理店で舌鼓をうつ。
出演者のセリフはひとつ、「これ、美味しいですね」である。
料理番組の場合、視聴者が待っているセリフはこのセリフ以外にない。
「歯ごたえがありますね」「とろりと口の中で溶けてしまいます」「どういうのか、エスニックな味ですね」などは余分なセリフなのだ。
「美味しい」という言葉に感情を込めることが出来れば、それでいいのだ。
最近、ボクにも「美味しい」と言う機会が訪れた。
ボクが編集している情報誌で、「クッキング」というコーナーがある。
読者が気軽に作れる料理を、レストランのコックに紹介してもらうものである。
山科にあるパスタの店に取材に行くと、店長とコックの他に、本社から宣伝担当の方も来られていた。
料理はコンビニの素材を利用して、簡単に作れるスパゲッティである。
レシピや作り方の説明を聞いた後、コックが厨房で作ったその料理をテーブルに置いた。
写真を取り終えたあと、「さあ、食べてみて下さい」と店長。
店長とコックと本社の人、3人が見守る中で、ボクはスパゲッティを食べた。
ちょっと間をおいて、「これ、美味しいですね」と言った。
そのセリフまで、少し時間があったのは、それが「マズかった」からである。

今回は食べ物の話なので、ボクの得意料理を紹介する。
手軽で簡単だ。
材料は卵2個、醤油、マヨネーズ、ご飯、そして、磯じまん。
フライパンを温め、2個の卵を焼く。フライパンの上で塩コショウをして、やさしく混ぜる。
焼きあがった卵をご飯にのせ、その上にマヨネーズと醤油をまんべんなく掛ける。最後に磯じまんをのせて出来上がり。
「なんや、卵焼きを掛けて食べるだけやないか」という声が聞こえてくる気がする。
その通り。
シンプルさが美味しさの原点なのだ。
ポイントは卵を焼くところである。
卵白と卵黄がやさしく混ざるように、箸をゆっくりとフライパンの上を転がす。
全体が黄色になるほど、かき混ぜるのではなく、卵黄と卵白がはっきりと判別できるくらいに止めておくのがよい。
これはボクが50年かけた研究の結果なのだが、余り混ぜると卵の含まれるレシチンが乳化剤の役目を果たし、イヤな甘味が出てくるからである。
スクランブルエッグのようなものであれば、レシチンから出てくる甘味はそれなりの味を演出するのだが、この料理のバランスからはその甘味は必要がない。
料理に「菜の花のラビリンス」と名付けた。
「ええかげんにせいよ!」という声が聞こえてくる気がする。

  
   出来上がり              卵の焼き具合はこんな感じ