薔薇族 |
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「ニュートンや 自分のウンコに 気が付かず」 ボクはトイレの落書きを必ず読むようにしている。 そうすると、たまにこんな名作を発掘することが出来る。 最近、こんな落書きを見た。 「○○先輩。結婚してしまうのですね。寂しくなります。僕はとっても、先輩が好きでした。仕事をしておられる先輩のお尻はとっても魅力的でした。僕の○○○をあなたの○○○に・・・・・・・」 男子便所であるから、これは男性の告白だ。 ○○先輩が女性ではなく、男性であることは文脈からわかる。 何故なら、2番目の○○○は○○○だからなのだ。 (金ブン通信は品位のあるサイトであるから、これ以上の表記はご勘弁願いたい) 単なるイタズラだろうが、この同性愛者の告白は少し笑えた。 少し孫引きになるのだが、ヒトの脳は、発生学的にいって、もともと女性の脳が原型になっているそうだ。 放っておくとと子供は全員女の脳で産まれてくる。 男子の胎児は、自分の脳を男性化するために、ある一定の時期にくると自分で自分の精巣から大量の男性ホルモンを放出する。 それが自分の脳に届いて「僕は男だ」と認識し、将来男性の脳になる準備をする。 この時放出される男性ホルモンが足りないと、その子は男性化の準備が不足した脳のままで産まれてくる。 「外見は男でも脳は女」ままなのだ。 脳の男性化は思春期にも起こるそうで、脳の中に性ホルモン受容体が出来るのが思春期の時期ということだ。 ここで脳の発達がうまくいかないと、身体だけは男性ホルモンの影響を受けてたくましくなったとしても、脳の男性化は完了しないそうだ。 ボクは中学生の時、男性化の立ち後れたヒトから襲われそうになった。 それは下校での出来事だった。 ボクの登下校は、尼崎を流れる蓬川(よもがわ)沿いを通り、小さな水防を乗り越えて近道をしていた。 蓬川は経済成長が吐き出す汚物をすべて引き受けているかの様で、色は炭のようにどす黒く、辺りにはメタンガスの異常な匂いが立ちこめていた。 ボクたちはその川を「どぶ川」と呼んでいた。 そのヒトの家は川沿いにあって、ボクが下校する時、そのヒトは何をしているでもなく家の近くでうろうろしていた。 そのヒトがボクに向ける視線は生温かな微笑みを含んでいた。 奥手なボクは男が男を求めることを知らなかったため、その微笑みは純朴なボクに向けられた親しみのそれであると思っていた。 「ぼくって、パン屋さんの子やな」 ある日、そのヒトはボクに近寄ってきて声を掛けた。 「はい」と答えるボクの顔に手が近づいてきた。 その手はボクの耳を触っていた。 触りながら、ボクの学校や運動クラブのことを訊ねた。 ボクは何故耳を触るのか、何故しゃべり方が湿気を含んでいるのかわからないまま、訊ねられたことに対して真っ直ぐに答えていた。 それから数日後の帰り道、そのヒトはボクに近づいてきた。 再び、妙に温かな手がボクの耳に触れた。 「ねえ、オッチャンのこと、どう思う」 訊ねられたことの意味が分からず、ボクは真っ直ぐ前を見たまま歩調を早めた。 ただ、気持ちが悪かった。 (自分の事だから大きな声で言えるのだが、ボクは小柄で、色白の、可愛いガキだったので、その筋のヒトから「そそられる」対象だったに違いない) そのヒトはボクの耳を触ったままで、付いてくる。 突然、頬に温かな息を感じた。 ボクは持っていたカバンを力一杯振り回した。 その勢いで、そのヒトは弱々しく後ろにのけぞった。 ボクは家までの道を猛ダッシュした。 その時の100メートル走はボクの生涯で一番早かったに違いない。 そうして、ボクのミサオは危うく難を逃れたのである。 ボクはその次ぎの日から近道を止め、遠回りして下校した。 それ以来、そのヒトに二度と会うことはなかった。 この世の中に絶対的に正しいこと、絶対的に間違っていることなどないし、絶対的な善悪はない。 ボクはそう思う。 人間を含めてすべての生物は、遺伝子のコピーをつくることを前提に行動をしている。 花がミツバチを引きつける為に美しい花びらを咲かせているのも、鮭が5000キロも離れた北洋から母川まで戻ってくるのも、となりの猫がうるさくミャオーミャオーと鳴くのも、同じ遺伝子を残したいためである。 自らの子孫を強く残そうとしているのだ。 それに反して、同性愛が生産性を伴わない「無意味」な行為だとしても、絶対的に正しくないというつもりなどない。 人間はいままで、「無意味」なものをいっぱい産み落としてきた。 それらは現代という掃き溜めの中へ、こぼれんばかりに捨てられているのだ。 京阪・天満橋駅の改札口近くに、宝書店という本屋がある。 以前、ここで「薔薇族」という本を立ち読みしているヒトを見かけた。 スーツにネクタイのサラリーマン風で、小脇に青焼き図面の筒を持っていた。 恐らく、建築関係の仕事をしているのだろう。 ボクはそのヒトの隣で、プレイボーイやスコラなんかを立ち読みしていたのだろう。 チラッと横に視線を送る。 そのヒトの開いているカラーページが目に入った。 白いブリーフ姿の、禿げ頭で太った男が腹這いになっている写真がかいま見えた。 「なんじゃ、これは」 ボクは「薔薇族」が同性愛者の本だと知ってはいたが、勿論、書いている内容を詳しくは知らない。 ボクは後ろに回り、文庫本を見ているふりをして、その本をさらにのぞき見た。 そのヒトはページを繰ることなく、グラビアのカラーページを食い入るように見ている。 しばらくして、本を棚に置くと、ネクタイを正しながら改札口へ立ち去った。 ボクは異様な写真見たさに、書棚に近づいた。 その時、レジにいる女の店員のカッターナイフのような視線が、背中に突き刺さった。 店員は立ち読みをしている、ボクとそのヒトの様子を見ていたようだ。 ボクは抑えがたい好奇心を無理矢理胸の中へ押さえ込んで、その場を慌てて立ち去った。 その後すぐに宝書店は改装され、その種の本は本棚から姿を消した。 ボクの事務所も天満橋に移転し、時折宝書店の前を通る。 そのたびに、あのおぞましいカラーページが思い出されるのだ。 ボクは今、情報誌の編集をなりわいにしている。 その雑誌にどんなコーナーがあるのか、読者のページにどんなことが載っているのか興味がつきない。 占いコーナーがあって、「今日はキティちゃんのブリーフが幸運を呼びそう」なんてのを見つけたら、これは楽しそうだ。 かといって、市井の本屋で立ち読みする勇気がない。 誰か、その手の本をお持ちなら、この仕事熱心な小心者に貸してくださらんかのぅ。 |