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営業の必要条件



営業時代


ボクは社会人になって26年、その内17年間は営業マンをしていた。
入社2年目に営業への異動を告げられた時、営業なんて出来るのだろうかと不安だった。
その頃、営業マンが6人いたのだが、どの人も話し上手で営業の職にぴったりとはまっているように見えたのだ。
営業の先輩たちは行動表に行き先を何カ所か書き、営業カバンを持ってそそくさと飛び出していく。
最初、先輩について営業に出掛けて驚いた。
まず喫茶店に連れていかれたのだが、そこにはさっき勢いよく営業所を飛び出していった営業マンのほとんどが「モーニングサービス」を食べていた。
1時間近くいて、やっと営業に出掛けていく。
ボクは退社していくことになっていた先輩営業マンについて、スポンサー引継の為1カ月一緒に行動したのだが、ほとんど毎日喫茶店で「モーニングサービス」を食べていた。
その後、一人で営業するようになっても、その癖は直らなかった。
ひとりで営業に出るようになると、営業は思っていたよりも簡単なものなのだと感じた次第である。
但し、売り上げにこだわらなければだが。

営業というものはふたつが出来れば、誰にでも出来ると思う。
それは「愛想笑い」「孤独に耐える」である。
「愛想笑い」とは面白くもないことをさも面白いように笑う技術だ。
巧い下手の差はあるが、これは大概の人に出来ることだ。
確かにそれが抜群に巧い人はいる。
以前上司だったUさんは実に上手に「愛想笑い」をする人だった。
ワッハッハが大きく、本当に楽しそうに笑っていた。
最初の頃は心から笑っているように見えて、実に陽気な人だなと思ったものである。
それが、顧客の前で面白い話題でもないのに面白そうに笑っていたのを見るに付け、段々とこれは嘘の笑いであることが分かってきた。
目が笑っていないのである。
(余談だが、京阪モールのデパ地下がオープンした時、おけいはんがモデルのポスターを貼っていたが、このおけいはんは笑っているのだが、確かに目は笑っていなかった)

こんなことがあった。
大阪城公園で「お花見」をした時、Uさんは実によく笑っていた。
気の合わないおエライさんが参加していたにも関わらず、酒を酌み交わし、楽しそうに笑っていた。
数日後、その時の写真が出来上がった。
カメラは弁当を片手に持ったUさんが、奇妙に引きつった目をしているのをはっきりと捉えていた。
口元は笑っているのである。
確かに、スポンサーの受けは良かったし、信頼も篤かった。
しかし、「愛想笑い」の上手なことは一営業マンとしては大切なことなのだが、同時にそれが上司としての資質を表しているものではない。
愛想を振りまく癖が社内においても反映され、上司に対してもむやみに「愛想笑い」を続けるからだろう。
そのツケは部下にもたらされる。

Uさんが持っているスポンサーにY美容室があった。
ボクはそのスポンサーを引き継ぐことになったのだが、引継の時点でかなりの未収金があった。
印刷や看板広告の仕事をするのだが、それがすべて6回の分割になるのだ。
それを確実に履行してくれれば、良いのだが、段々と遅れてくる。
仕事はどんどん進める為に、未収金は見る見るうちに溜まってくる。
「これだけ、未収になっていますけど、どうします?回収に努めたほうが」と言うと、「ううん、社長に言っているのやけどな」と腕組みをしているだけで、その後未収の話に行ったのにまた仕事を受けてくる始末なのである。
それに社内では都合の良い部分だけを報告する。
そして、カラい部分は部下がヒーヒー言いながら、食べさせられるのである。
世間で銀行がそう言われているように、「雨の日に傘を貸さず、晴れの日に傘を貸す」タイプの上司だった。

少し話がそれてしまった。
愛想笑いをする人はとにかく「笑ってしまえば良い」と考えているようなふしがある。
こういう人の前でギャグをかますと、大変嫌な思いをする。
例えば、飲んで帰るのを誘う時、「おっぱいもみ屋で立ち呑みでもしましょか」なんて冗談を言ったとしよう。
ワッハッハと大きく笑い、「おっぱいか、それはよかった、ワッハッハ、おっぱいもみ屋やて、うまいこと言うな、ツッツッツ」
何度もギャグの単語を並べられると、言った本人はたまらなくツライ気分になるのである。
だから、こういう人の前ではギャグをふらないのが得策のようだ。

それともう一つ、営業にとって大切なことは「孤独に耐える力」である。
華やかなように見えても、営業マンは孤独な仕事だ。
朝出ていって夕方まで戻らない場合、顧客と話する以外はほとんどしゃべらない。
うち解けた顧客で話をしていて、それが楽しいなら良いだろうが、滅多にそんな客はいない。
利害関係の上で、仕事をいただく立場の当方は大抵気を使いながら話し、終わって事務所を出るときはホッと一息つくのだ。
そして、ひとりで昼食を食べ、次ぎの得意先に向かう。
まだ行くべき得意先がある場合は良い。
一日中新しい顧客の開拓に励む時は門前払いの繰り返しに耐えなければならない。
一件でも制約が取れたなら味わう孤独も楽しいものだろうが、売り上げの落ち込みに悩みながら、仕方なく飛び込むセールスは孤独をさらに助長する。

インベーダーゲームが流行していた頃のことだから、大分以前の話である。
喫茶店で異様な光景を目にした。
ボクたち営業マンはいつものように朝のモーニングサービスを食べながらダベっていた。
突然、隣りの席にひとりで座っているサラリーマン風の男が怒鳴りだした。
「分かっているのか、この成績。ええっ。いつも、言っているやろ。ええっ。お前だけやで、こんな数字。ええっ。どうすんの。こんなことで。どうすんの」
こんな内容だった。
相手は白い壁なのだ。
ひとり大きな声で怒鳴り続けているのだ。
店内の空気は凍り付き、まわりにいた客もウェイトレスも、驚いて見ていた。
その内容は上司が自分に投げかけている言葉のようで、時折ヒトの名前が出てきた。
それは延々と続き、ボクたちが喫茶店を出ていく時も繰り返されていた。
その時、ボクの口から付いて出た言葉は「お気の毒に」である。
その男が会社でどんな立場なのかはわからないが、仕事上のストレスから精神が壊れているようだった。

営業というのは真剣にやれば忙しいのだろうが、四六時中忙しいわけではない。
必ず、空き時間がある。
空き時間を作ろうと思えば、容易に出来る。
それは営業の特権でもあるのだが、時間の使い方を間違うとひどい目に遭う。
パチンコはいけない。
営業の時、顧客と打ち合わせの約束で、45分早く着いてしまった。
隣りに喫茶店パチンコ屋があった。
喫茶店で本を読んで30分過ごすと、財布から300円が確実に出ていく。
パチンコだと、財布にお金が増えるかもしれない。
これが間違った考えであることが5分後に解った。
最初の200円は1分ももたない。
5分も経たない内に、2000円が財布から消えた。
(ボクはまだ自制心のあるほうだから、こんな金額で済むのだが)
約束の時間まで、30分以上残してしまった。
仕方なく、となりの喫茶店で本を読むことになってしまった。

それでも懲りずに、パチンコに興じる営業マンがたくさんいる。
気軽に出来るものだから、頻繁にパチンコの台の前に座ってしまう。
ボクも一時、このパチンコにハマったことがあった。
確実にお金は消えていった。
アホらしくなって、しばらくして一切パチンコはしなくなったが。
パチンコに限らず、営業の孤独を紛らわす誘惑はたくさん用意されている。
競馬、競艇、競輪、風俗…
出費が伴うものに手を出すと、ろくな事はない。
これまで、どれだけの営業マンが集金した金に手を出したり、サラ金に借金を作ったことだろう。

営業はさみしいのである。
幸いにも、ボクの場合、本が好きだったので、時間のある時はほとんど、図書館で過ごした。
営業成績が予算に達している時は無理して頑張ることはやめ、一日本を読んでいたこともある。
というのも、営業実績が上げれば上げるほど、来期はその実績に対して予算を上乗せされるので、頑張ってもしんどいだけなのだ。
110%や120%の実績を上げて、賞状を貰っても嬉しくも何ともない。
それなら、有効に自分の時間として楽しんだ方が良い。
反対に100%に達しない時は目くじらを立てて頑張るのかというと、そうではない。
読みたい本があれば、営業時間を節約してでも、読んでいたのだ。
こういう社員を営業に持った会社はかわいそうだ。
だから、今は営業から離れている。
営業を離れてみると、なかなかそんな自由な時間は取れない。
本を読む時間が少なくなったのは、また寂しい