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禿頭考



こんな感じ


少し遅れ気味のバスがやってきた。
沢良木さんは暑さをよけるように、すばやく乗り込む。
始発に近い停留所から乗ったので、車内はガラガラ状態。
空いている席に座って、ホッと一息。
「うん?」
頭頂部がひんやりする。
席の上部にクーラーの丸い吹き出し口があり、そこから冷気が降り注いでいる。
以前もこんなシチュエーションはあったが、これほどひんやりするのを感じたことがあっただろうか。
そう言えばである。
先日、実に辛いカレーライスを食べた。
二口食べたところで、汗が噴き出してきた。
「うん?」
頭頂部が妙にひんやりする。
ハンカチを取り出して、汗を拭う時、頭のてっぺんに手で触れてみる。
すぐに手に汗が付着した。
汗が出る頭皮と手のひらの間に、あるべき物が薄くなっているのだ。

そう言えば、一年前。
風呂上がりに鏡の前に立って、うつむき加減になり、頭のてっぺんを見た。
やんごとなき事態が迫っているのに気づいた。
でもそれは、風呂上がりで髪が濡れているせいだろうと首を振る。
そうだ、そうなのだ。
髪が濡れているからだ。
と自分に言い聞かせるのである。
だが、そこへ、沢良木さんが汗水たらして働いたお陰でぬくぬくと育っているが現れ、「あれれ、ちょっとちょっと、薄なってるんとちゃうの」とほざく。
デリカシーという文化人が持つべきものを持ち合わせていないガキは沢良木さんの傷口に塩を塗りつける。
「ハゲになるやん。まだ、早いんちゃう」とガキは頭頂部をのぞき込もうとする。
「アホ、昔から変わりない。濡れているから、そう思うだけや」と無理な反論をするも、
「違うって、よう見てみ」とご丁寧に鏡を持ってきたりするのだ。
沢良木さんは「バカ、バカ、バカ」と心でつぶやくのである。
それからというもの、沢良木さんにとってこの問題は、避けて通ろうとすると急に吠えだす犬のような存在になった。

その時以来、いろんなことが気に掛かるようになった。
帽子の存在が気になる。
若い頃、帽子に全く興味がなかった。
真夏の炎天下で、スポーツをするときに被るくらいだった。
熱射病から身を守る手段である。
それが、ファッションとしての帽子に興味がわく。
将来この問題が良からぬ方向へと発展した時に、薄くなった箇所を隠す道具として、自分の生活に大きな役割を果たすであろう。
その時、どの形の帽子が自分に適しているのかを真剣に考えるのである。
ブリム(つば)のついていないハットか、ブリムなしのキャップか。
「ハンチング」はどうか、ダンディに決まる「ソフト」が似合うのではないか。
芸術家風に「ベレー帽」も良いのだが、殺人鬼の大久保清(これは古いな)が評判を下げてしまっている。
比較的長い前ブリムが付いたキャップは今人気だ。
ナイキのマークの付いたのはタイガー・ウッズが被って有名になったし、 ケビン・コスナーだって記者会見の時に被っていた。
しかし、問題は生地だ。
もともと禿げというのは毛穴に脂などで詰まって、毛根が徐々に退化して起こる。
そこには「通気」というものが関連してくるのだ。
以前、旧大洋ホエールズのショートを守っていた山下という選手が、勝利インタビューでヘルメットを脱いだときは、驚いたものだ。
ほとんど毛がなかった。
そう言えば、野球選手は帽子やヘルメットで目立たないが、結構禿げた人が多い。
これは野球選手が帽子を常に付ける仕事であり、それによって通気性が失われることに起因している。(おそらく)
隠すための帽子はさらに通気性を失うことによって、度合いが進むことが考えられるのである。
つまり、帽子は隠す利点はあるものの、同時に蒸れるという負の部分を背負っている。
そこで通気性の良いメッシュの生地に注目する。
網の目のようになった生地は新鮮な空気が通り、蒸れを良く防いでくれる。
よし、これで行こう。
沢良木さんは帽子問題において、将来の方針をほぼ決定したのである。

人の頭が気になる。
電車に乗っている時など、つい座っている人の頭に目をやってしまう。
特に自分と同年輩か、少し年上の人の頭が気に掛かる。
「こんな、頭になるのかしらん」と眺める。
頭は禿、白髪、黒髪の3つに大別される。
そして、禿は前方禿、頭頂部禿と両方が同時に起こる前方後円禿の3つに別れる。
沢良木さんの頭はまぎれもなく、将来において頭頂部禿になる。
OLなどからカッパと揶揄されるのはこの種類である。
サッカーのアルシンド(これも少し古いが)はこのタイプで、「友達なら、あたりまえ」とか言って、カツラのコマーシャルに登場していた。
谷村新司やさだまさしは前方禿の代表格だろう。
もう完全にスキンヘッドにしている松山千春は前方後円禿であろう。
松山千春はハゲはじめた頃、コンサートで、「洗髪している時、抜け落ちて、流れていく髪の毛を思わず足で押さえた」と言っていた。
解るぞ、その気持ち。
考えてみるに、昔一世を風靡したフォーク歌手の面々はことごとく、髪の毛が薄くなっている。
「ボクの髪が肩まで伸びて」なんて歌っていた吉田拓郎だって、すっかり危ない。
50を過ぎているのであるから、当然といえば当然なのだが。
しかし、多くのフォーク歌手が犠牲になっているのは何故なのかと思う。
考えるに、スポットライトのせいではないだろうか。
舞台でのライトは容赦なく、頭にふりそそぐ。
暑い→汗→毛根が弱るの図式が脱毛を促進している。(たぶん)

「闘わなければ、現実と」なんて、コマーシャルが気になる。
最近、沢良木さんも養毛剤を付けるようになった。
掛布と中村雅俊が宣伝する「リアップ」は国内で一番売れている養毛剤だ。
不老林や紫電改などの養毛剤は様々な生薬が含まれているのだが、「リアップ」はミノキシジルという成分のみで勝負している。
このミノキシジルは血圧降下剤の内服薬として使われていた。
血圧降下剤は末梢の血管を広げる役割を果たす訳で、頭皮の血流もよくなるのである。
ほかにも、毛母細胞の分裂を促進したり、発毛サイクルの休止期を成長期に変換させる効果もあるという。
アメリカでは「ロゲイン」と言う名前で売り出していて、年間7千人ぐらいに実験した結果、84%に有効という数字が出ている。
残念ながら、日本で発売している「リアップ」は厚生労働省の認可が下りない為、ミノキシジルが1%しか含まれていない。
それに対して、「ロゲイン」は3%も含まれている。
3倍の効果が見込めるのである。
沢良木さんはアメリカに留学している甥にメールを送り、「ロゲイン」を送ってもらった。
それ以来、沢良木さんの頭皮にはミノキシジルが定期的に流し込まれている。
さて、効果の程はどうだろうか。

沢良木さんの会社の社長は禿げている。
得意先にも禿げている人はいる。
そんな人に対して、「ピカドン」「ツルッピン」「ヅルムケ」なんて陰で言っている人の言葉が気になる。
「あのツルッピンは給料もろくに出さないくせに」とか、「事故起こしはったんですが、毛が(怪我)ないから良かったんですわ」とか言われたり。
そこには優者愚者を見下す構図がある。
禿げている人は禿げている人に対して、けっして「ハゲ」とは言わない。
大概において、髪の毛が豊富で、将来禿げるのを心配していない人が禿げている人に浴びせる言葉である。
若い人が年輩で禿げている人を批判の標的にするとき、この「ハゲ」という肉体的欠陥は一番的にしやすい。
「笑いは差別だ」と誰かが言っていたが、優者が愚者を見下ろす所に「笑い」が生じる。
そして、「ハゲ」と蔑むところに、「笑い」がじんわりと広がるのである。
清水ちなみの「禿頭考」という本の中に、「ハゲというのは悪口になるか」という質問が出てくるのだが、フランスもアメリカもシンガポールも「ならない」というのが圧倒的に多いということだった。
もともと、コーカソイド(白人)にはハゲが多い。
我々モンゴロイド(黄色人種)の約4倍いると言われているのである。
だから欧米では、ハゲは特殊な現象ではなく自然なスタイルなのだ。
映画スターや歌手でも目に付く。
ユル・ブリンナーやショーン・コネりーは有名だし、トム・ハンクスやブルース、ウィルスだって、かなり薄い。
でも、何故、欧米人のハゲはみすぼらしく見えないのだろうか。
髪の毛の色に薄い為にあまり目立たないのか、頭の形のせいなのか。
いわば、堂々と禿げているからなのか。
どうでも良いことだが、沢良木さんは気に掛かる。

日本で「ハゲは好きですか」という質問を若い女性にすると、「嫌い」だという人が圧倒的に多い。
なぜだと訊くと、スケベだからと答える。
日本ではハゲ=スケベが定着している。
女性が禿げないで、男性が禿げるのは男性ホルモンが関与していると言われている。
正しいかどうかは解らないが、男性ホルモン旺盛な人、脂ぎっている人がハゲのイメージとして定着し、ハゲ=スケベの構図が出来上がったようである。
中国では王様に仕える宦官という人たちがいる。
王様の女に手を出さないために、チン切った人である。
この人たちは絶対に禿げないのだそうだ。
それも一生禿げない。
だからといって、沢良木さんは宦官が羨ましいなんてことはけっして思わないのだ。
チン切るのは痛そうである。
考えるに、男性ホルモンと禿はやっぱり、関係がありそうだ。

最近、総務の部長が親会社から出向してきた。
沢良木さんと同年輩である。
気づかなかったのだが、人づてに聞くと、どうもカツラらしい。
沢良木さんの斜め向こうに座っているのでシゲシゲと見ると、確かに不自然な感じがする。
見ていると、何故か嬉しくなってくる。
何故だか解らないが。

最近、沢良木さんは石鹸で頭を洗っている。
シャンプーより石鹸のほうが良いと聞いたからである。
リンスはしない。
リンスは髪の毛をなめらかにするが、毛穴には良くないらしい。
そして、叩いたり、もんだりしてみる。
無駄な抵抗のような気がする。
だが、続けている。
頭を洗いながら、ふと、どこかで見た川柳を思い浮かべる。
シャンプーが 長持ちする 年になり
沢良木さんは細くなった髪の毛が無情にも排水溝へ吸い込まれていくのを見て、
深いため息をついた。

お断り:この文章が優者の立場で書いていると感じる人がいたら、どうかお許しください。