金川淳一アルバム・想い出7
 
 

私は淳一にとって、合格点のもらえる父親ではなかっただろう。

小学6年生の時、少年バレーの監督からこっぴどく殴られていた淳一を助けてやれなかった。 それがトラウマになって練習に行くのを嫌がっていた淳一を、車で体育館まで送り届けていただけだった。
何度か魚釣りに出かけたが、一匹も釣れた魚を見せることが出来なかった。
市民プールに出かけたが、私はプールサイドで本を読んでいて、淳一はひとり滑り台で遊んでいた。
阪神競馬場へ出かけた時、私がレース夢中になっている間、淳一は無料のミニ電車にひとりで繰り返し乗っていた。何度も繰り返し乗ったために、気分が悪くなってゲロを吐いていた。

私は葬式でこんな挨拶をした。
「今朝、この葬儀場から近くにある自宅まで歩きました。イズミヤの駐車場を歩いていた時、淳一とここでキャッチボールをしていて、ガードマンに怒られたのを思い出しました。至る所に思い出が落ちていて、これから頻繁に思い出と出くわすでしょう」

不合格の父親でも、淳一の想い出は至る所に落ちている。

このホームページを作るのに、戸惑った。
「こんなことを書いて、淳一はどう思うだろうか」と。
今も、戸惑いながら書いている。
でも、淳一が生きてきた15年間や病と闘った記録を書き残したいと思う。
ずっと、書き続けたいと思う。
みんなに時折、淳一のことを思い出してもらうためにも。

10月31日、妻の○回目の誕生日。
淳一から妻へ、誕生日のカードが届いた。

淳一が亡くなる4、5日ほど前のことだ。
腰の痛みが激しく、頻繁に痛み止めの注射をしていた。
口からの食事は2ヶ月前から出来ず、点滴で栄養を摂るのみで、やせ細っていた。
ベッドで身体を起こすのさえ、大変な作業だった。
そんな中、世話になっている看護師さんの誕生日に、カードを送ろうということになった。
娘が買ってきたカードに、震える手で文字を書いた。
その時、娘がそっと、「お母さんの誕生日カードも一緒に書いて置いたら」と勧めたらしい。
娘は抗ガン剤の治療が続くと、またいつ起きて文字を書ける状態になるか分からないと思った。
妻には内緒にした。

四十九日の二日後、妻の誕生日に娘がそのカードをプレゼントした。

会社の人から、一冊の本が送られてきた。
写真と詩、それに20ページの文章が添えられている小さな本だ。
題名は「千の風になって」。
写真の中に作者不詳のこんな詩が載っている。

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になっ
あの大きな空を吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬にダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています

妻は食卓でこれを読んで泣き、私は通勤電車の中でこれを読んで泣いてしまった。
この詩は亡くなった人が生き残った人へ送ったという。
それがイタク琴線にふれた。