金川淳一アルバム・想い出4
 
 
バレーボール
小学校3年生から始めたバレーボール。
花里クラブを経て、伊丹ボーイズに入部。
伊丹市内から兵庫県大会へと勝ち進み、近畿大会に出場すること2回。
伊丹ボーイズはメンバーが少なく、小学生6年生と4年生に加えて2年生の子供がレギュラーで入るデコボコチームだった。
それでも、170cmを超えるような相手チームに対して互角に戦っていた。
淳一はキャプテンを務め、小さい体で飛び跳ねて、コースを打ち分けアタックを打っていた。

15年間の人生の中で、ほとんどがスポーツだった。
好きなスポーツばかりしていたと言えば幸せだったのだろうが、厳しい練習ばかりだったことを思えば、そうとは言い切れないかも。

スポーツ観戦で番狂わせほど面白いものはない。
それが期待していたほうへ勝利した時は興奮する。
三田なかよしクラブと対戦した阪神大会の決勝は一番印象に残っている。
三田なかよしというチームはひとり170cmを超えるアタッカーを筆頭に、攻撃とレシーブの均整がとれた常勝のチームだった。
何度か練習試合をしていたが、全く歯が立たなかった。
対する伊丹ボーイズはチーム全員で8名。
その内、小学2年生がひとり、始めたばかりの子供がふたり含まれている。
試合に出るのは淳一を含む6年生が3人と4年生ふたり、それに2年生の子供だ。
試合前、整列しているふたつのチームを見比べても、勝てる要素は全くないような印象だった。
小学生バレーはサーブが勝敗のほとんどを占める。
始まってからサーブがどんどん決まった。
それにチーム全体のバイオリズムが良かったのだろう、淳一のアタックも面白いように決まり、全員がボールをよく拾った。
おまけにめったに決まることのない小学2年生の子のサーブも相手コートにぽとりと落ちた。
1セットを僅差で奪取する。
2階で観戦していた私は信じられなかった。
チームには失礼だが、ぼろぼろに負けることしか想像してなかったからだ。
後手に回った三田なかよしは全くリズムが狂ってしまった。
三田なかよしが調子悪いというより、伊丹ボーイズの子供たちのリズムが良すぎた。
次のセットも伊丹ボーイズのペースで進んだ。
あれよあれよという間に、大差で勝利したのだ。
ちびっ子たちのデコボコチームは優勝し、近畿大会に出場した。

バスケットボール
中学生になると、さっそくバスケットボールクラブに入部した。
兵庫県中学生新人大会や阪神オープン大会で優勝。
阪神オープンでは最優秀選手を受賞した。受賞を聞いた時、本人が最も驚き一番喜んでいただろう。
スポーツとしてはバレーボールよりも好きだったようで、ガードとして体育館を駆け回っていた。
長女の亜由美が唯一観に行った試合は、伊丹西と対戦した市内大会の決勝だった。
市内では淳一の松崎中学と伊丹西がダントツで強かった。
両チームはいつも僅差の試合をしていた。
この前に対戦した試合も最後の数秒のシュートで勝ち負けを分けるものだった。
いつも緊迫した内容の試合なのに、その日は松崎のみんなの調子が悪く伊丹西にペースで進んだ。
松崎中学はひとりの上手な選手を中心にしたチームで、その選手の調子で試合が左右される。
両チームとも小学生からのミニバスケット経験者がほとんどレギュラーとして出場している。
中学生から始めた淳一はバレーボールの経験が活きていたようで、ガードとしてスターティングメンバーに入っていた。
その日は中心になる選手の調子が悪く、伊丹西のリードは段々と開いていった。
監督の怒りの声が体育館に響く。
10点以上の点差がつく。
急に、淳一が交代させられコートを出る。
「なんで?」とルールの知らない私と亜由美は思ったものだ。
ファイブファールをしたのだ。
反則を5回すると、コートを出なければならないのだ。
淳一が退場してから、チームは見違えるように動きが良くなった。
10点以上の差を挽回し、逆転で勝利したのだ。
松崎中学のチームや保護者の歓声が体育館いっぱいに響いた。
淳一はベンチの椅子に座り、タオルを被ってうなだれていた。

その後、チームは勝ち続けた。
阪神大会で勝ち、県大会で優勝した。
その間、淳一はガードをして出場した。

私は優勝して喜んでいる姿や最優秀選手に選ばれて嬉しそうな顔をしている淳一より、ファイブファールをして泣きそうな顔をしている淳一のほうが印象に残っている。

エピソード3
●反抗期

息子は中学に入ると、私とほとんど口を利かなくなった。
1年間ほど続いただろうか。
子供から大人になるための反抗期だから、仕方がないことだ。
この頃の男の子にとって、父親というのは煙たい存在なのだろう。
それがある事がきっかけで、自分の方から私に声を掛けてくるようになる。

その日、近畿のチームが20チーム集まって、練習試合をしていた。
日頃余り息子の試合を見に行かない私だが、その日は観客席の端のほうで観戦していた。
観客席の最前列で、保護者数人が観戦している。
息子の試合が始まって間もなく、観客席にいるみんなの視線が試合ではなく1階ドアの外方向に向いていた。
私もそちらを見た。
ユニフォームを着た選手が先生らしき人に、足蹴りにされたり顔面を殴られたりしているのだ。
それも何度も何度も続いていた。
異様な光景だった。
初めはすぐに終わるだろうと思っていたのだが、一向に終わらない。
繰り返し足蹴りされ、顔面を殴られている。
選手は突っ立ったままで、それを受けていた。
私は試合に熱中しようとしたが、そちらが気になって仕方がなかった。
「ちょっとひどいな」という声がどこからかする。
私は正義感に震えて悪人に立ち向かって行くような人間ではないし、身を犠牲にして正しいことを貫こうとする人間ではない。
それがその時は何を思ったのか、居ても立ってもいられなくなり、1階に向かって歩きだしていた。
その前まで行くと、私は大きな声で「もう、ええ加減にしたらどうです。やりすぎやで」
殴っているのは女の先生だった。
選手は唇から血を流し、しゃくり上げるように泣いている。
抗議をする私に対して、その先生はすぐに「すみません。ごめんなさい。つい、カッとなって」と頭を下げた。
私は日頃人に怒鳴り声を挙げたりしない。
その私が偉そうに意見をしたのである。
「余りにもひどいのとちゃうか。感情で殴ったらアカンでしょうが。もっと愛情を持って指導しないと」
珍しく、私の気持ちは高ぶっていた。
殴られていた子どもは「僕が悪いんです」と泣きながら言う。
試合で同じミスを繰り返す選手に、カツを入れていたようだ。
それにしてもひどい光景だった。
以前息子のバレーボールを観戦していた時も同様の光景を見た。
指導者が小学生の子供の顔面を殴っていた。
そのチームは強いチームで、その指導者は熱血監督で有名な人らしい。
私はそれを見た時、スポーツとはいえこれはやりすぎだと思った。
しかし、バレーボールの練習ではこれが日常行われているという。
チームプレーを徹底して鍛えるためにはこれぐらい厳しくやらないといけないという。
団体競技の経験がない私は首を傾げてしまった。
息子のチームの監督は最初、手を出すことは無かった。
ところが、チームが強くなるにつれ熱が入ってくる。
練習中次第に体罰を加えるようになり、エスカレートしていった。
チームが勝ち進み近畿大会まで出場するようになると、さも暴力指導が正しいかのようになっていった。
その後、息子は暴力的な指導によって心的障害が残り、体罰指導に著しい嫌悪感を抱くようになった。
中学に入り、バレーボールを辞めてバスケットに転向したのもその影響があったようだ。
私の行動が人づてに、息子の耳にも入ったのだろう。
その日から私に語りかけてくるようになった。

数日後、テレビを見ていると、急にこんなことを訊くのだ。
「お父さんは僕にどんな人間になってほしい?」
私は答えに窮した。
「ううん、難しいな」と応えただけだった。