その12

アメリカのアリゾナに住む、7歳の男の子であるクリスは警察官になるのが夢だった。
しかし、白血病を患い、学校に行くことも出来なかった。
アリゾナの警察官たちが少年の話を聞き、本物そっくりの制服とヘルメットを用意し、クリスを名誉警察官に任命した。
駐車違反の取り締まりをしたり、ヘリコプターに乗ったりし、ほんの短い間だが、クリスの夢が叶った。
5日後、クリスは亡くなり、警察官の手で名誉警察官のための葬儀が行われた。
クリスの夢の実現に関わった人々が、「他にも、大きな夢を持ちながら、難病のため夢をかなえることができない子どもたちがいるに違いない」と考え、基金を設立した。
それが「メイク・ア・ウィッシュ」という非営利組織の団体である。
1992年の12月、その支部としてメイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパンが設立された。
「メイク・ア・ウィッシュ」とは英語で「ねがいごとをする」と言う意味で、3歳から18歳未満の難病とたたかっている子どもたちの夢をかなえてくる。(「メイク・ア・ウィッシュ」のホームページより引用)
手続きは簡単だ。
電話かメールで連絡をとり、こちらの連絡先、子供の年齢、病名や病院名、 主治医のお名前などを知らせる。
主治医に年齢や病名などを確認して認定されれば、メイク・ア・ウィッシュの担当者が子供を訪問し、かなえて欲しい夢を聞く。
その夢が可能なのかどうか審議し、様々な人脈や予算を使って、夢の実現に向けて行動する。
同室のお母さんにこの団体の存在を教えて貰った。
その頃は淳一が2回目の生検で高度救急救命センターに入った大変な時期だった。
眠り続けている淳一が目覚めた時に、何とか元気づけられることはないかと思っていた。
淳一がかなえて欲しい夢は何だろうか。
家族で相談した結果、バスケットに関することが良いのではないかということになり、アメリカのプロバスケットチームで活躍している日本人プレーヤーのT選手からメッセージを貰うということにした。
私は早速、下記の内容のメールをメイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパンの関西支部へ送った。
長くなるが、全文を記しておく。

はじめまして。
私は伊丹市に住んでいます。
私には21歳になる娘と15歳になったばかりの息子がいます。
息子(淳一)は中学3年生で、クラブはバスケットをしていました。
7月に行われた阪神大会準決勝の敗退を最後に引退いたしました。
学校は松崎中学というのですが、県では強豪チームと言われていました。
新人戦の県大会で優勝した後阪神オープンでも優勝し、息子はその大会で最優秀選手に選ばれました。
7月の阪神大会が終わってまもなく、息子は急に胸の痛みを訴えました。
最後の試合が結構荒い試合だったので、誰かの肘が当たって打ち身でもしているのかと軽く考えていました。
整骨院に通いましたが、痛みは引く様子がありません。
9月に入って近くの病院でレントゲンを撮った結果、何か影が写っているとのことでした。
今度は伊丹市民病院でCTの検査。
すると、はっきり腫瘍らしきものが写っているというのです。
そこで大阪大学付属病院を紹介され、診察を受けました。
すぐに入院することになり、生検を行い組織検査をいたしました。
病名は「横紋筋肉腫」でした。
つまり、癌です。
まさか、なんで、と私たち家族は戸惑うばかりでした。
担当医の説明では数十万人にひとりの珍しい病で、胸に出来るのはそのうちの1%と言われました。
リンパ節と脊髄に転移が見られ、手術でとるのは無理ということで、抗ガン剤の治療が始まりました。
吐き気、倦怠感など、大人でもツライ化学療法をジッと耐えていました。
弱音を決して吐かない我慢強い子供で、我が子ながら感心してしまいました。
11月中頃、一時外泊が許されました。
2泊3日の久しぶりの帰宅に、息子は大変喜んでいました。
しかしそれもつかの間、外泊から病院へ戻ると2度目の抗ガン剤の治療が始まります。
先週の水曜日、抗ガン剤の投与の前に、2度目の組織検査をすることになりました。
そして、その時、事故が起きました。
局部麻酔をしていたのですが、急に自発呼吸が出来なくなり、急遽気管にチューブを挿入し、全身麻酔をしました。
担当医の説明では癌細胞が大きくなり、気管を圧迫し気道が確保出来ない状態というのです。
今麻酔を注入された状態で、人工呼吸器をつけて、高度救急救命センターで寝ています。
その状態で抗ガン剤の投与を行っています。
この抗ガン剤が効いてガン細胞が小さくなり、気管の圧迫から解放されることを祈っています。
家族は必ず息子を元気な姿で家へ帰すと、必死で祈っているのです。
息子はバスケットをしているとき、今現在NBAで活躍しているT選手の大ファンでした。
小児科で同じ病室の人から「メイク・ア・ウィッシュ」の存在を聞きました。
息子が麻酔から覚めた時に、何か力になるものをプレゼントしたいと考えています。
出来れば、T選手の息子に対するメッセージでも貰えたらなあと思っています。
無理なことを承知でお頼みするのですが、お願いいたします。

早速メールの返事があり、関西支部の担当者から主治医T医師あてに連絡が入った。
それ以後様々な人脈を使って、夢の実現に向けて動いてくれたようである。
送られてきた会報には子供たちの写真が、年齢や病名とともに掲載してあった。
どの写真も夢がかなった時のもので、幸せそうな明るい表情ばかりである。
しかし、治療の厳しさを思うと、もの悲しい。
この子供たちは何故、過酷な運命を背負わなければならないのだろう。
「ハワイでセスナを操縦したい」「東京ディズニーランドへ行きたい」「アーノルド・シュワルシェネッガーに会いたい」「メジャーリーグの試合を観たい」「お寿司屋さんになりたい」など、かなった夢は様々だ。
また、病気も様々だ。
脳腫瘍、白血病、筋ジストロフィー、神経芽細胞腫、骨肉腫、拡張型心筋症、ラスムッセン症候群、セントラルコアー病など。
淳一と同じ、横紋筋肉腫の子供も何人かいた。
翌年、バレンタインの前日、淳一の夢がかなった。

11月24日、淳一は6階小児外科の重症室に移動した。
高度救急救命センターには2週間余りいたことになる。
高度救急救命センターでの面会は1日1回だったが、ICUでは午後2時から3時までの1時間と午後6時から7時までの1時間の2回だった。
救命センターと同じで、面会は二人まで。
妻はずっと付き添い、亜由美と私が30分づつ分け合った。
妻は頭に触れながら話しかけ、手足をさすったりする。
眠った状態で、時折うっすらと目を開ける。
「時折目を開けているけれど、お父さんやお母さんがそばにいるのは判らないでしょう。夢を見ている状態です」とT医師は説明する。
私も手や足を触ってやる。
息子の身体に触れるのは随分久しいことのように思う。
幼稚園の参観で、手をつないでお遊戯するのは何とも照れくさかった。
それでも幼少の頃、よく手とつないで出歩いたものだ。
爪が伸びている。
手の爪の形は妻に似ているが、足の爪の形は私にそっくりだ。
私と同じで爪を噛む癖があるので、指先はガタガタになっている。
2回目の化学治療で、白血球や血小板の数値が下がっている。
同時に腫瘍マーカーも下がっている。
ガン細胞が発生し進行してくると、ガン細胞が作る物質が血液や尿、便など現れる。
それらを検査することで、ガンがどの部分で出来たか、どんな性質のガンなのか、どんな治療が有効なのかが判断できる。
腫瘍マーカーとはその物質の検査を目印にすることである。
ただ、全面的に信頼することは出来ないらしい。
ガンに関係なく増える場合もあるし、マーカーの無いガンもある。
淳一の横紋筋肉腫の場合、血液中のLDHがマーカーになった。
2回目の生検時には1700あったLDHの数値は900まで落ちていた。
正常値は200から400程度なのだから、かなり高い。
今回の化学治療はある程度効果があったようだ。
カンファレンスで、T医師とO医師の説明を受けた。
「腫瘍は大分小さくなっている」と、化学治療の成果を話す。
その際、O医師は「2サイクルで効かない場合は方法がない」と付け加えた。
この言葉に亜由美が強い調子で返した。
「2回も生検をして、まだ、その結果が出ていないのに、方法がないと言われたら困ります。未だ他にも色々と使う薬があると言ってたじゃないですか」
2回目にした生検の組織検査は1ヶ月後にならないと結果が出ない。
苦しい思いをして2度も生検を行ったのに、その結果が出ない内から、「方法がない」と言われたのではたまらない。
一体、2度目の生検は何だったんだろうと思ってしまう。
病院の治療に対して、不信感が募っていた。
状態が良くないので、ポロッと本音がこぼれたのだろう。
部屋の空気が尖った。
「娘の言っているとおり、私たちは検査結果で腫瘍に効く治療が発見できると期待しているのですから」
亜由美の強い調子を和らげるように私が言う。
「淳一にあんな思いをさせているのですから、何とか最善の方法を考えてもらわないと。私たちは病院の方針を信頼して、2度目の生検を受けたのですから。絶対、諦めないでください」
出来るだけ冷静さを装いながら、妻も付け加える。
デイルームで、医師に対して強い調子で詰め寄る親たちを見ていた。
しかし、私も妻もこれからの治療を考えると、真っ向から感情をぶつけることに遠慮があった。
「レントゲンの結果、腫瘍は小さくなっていますし、2クール目の化学治療は効果があったと思います。まだまだ、選択肢は残っていますし。諦めるようなことは決してありませんから」
困ったような表情を浮かべているO医師に代わって、T医師が応えた。
問題は気管に挿入しているパイプを抜くことが出来るかである。
腫瘍が大きくなって気管が圧迫されているため、気管にパイプを挿入したのである。
これが抜けないと、今の状態を脱することができない。
かといって、抜いた瞬間に再び気管を圧迫したら、取り返しの付かないことになる。
「ファイバーを使いながら、慎重にやりますから。腫瘍は大分小さくなっているから。大丈夫ですよ」
T医師が安心させるように言う。
来週前半に気管チューブを抜くことを告げ、説明は終わった。

11月26日、小児病棟で子供たちの発表会が行われた。
6階のデイルームが装飾されて、臨時の会場になった。
子供たちが日頃練習している音楽や朗読を披露した。
車椅子の子供、点滴をぶら下げた子供、ほとんどの子供は化学治療の為髪の毛が抜けている。
詰まりながらも楽器を必死で演奏するけなげな姿に、妻は思わず泣いてしまったという。

奈良で起きた女児誘拐事件の犯人は捕まらないこと、鉄アレーで両親を撲殺した子供のこと、両親と姉とめった刺しにした23歳の男のことをテレビが伝えている。
生きようとする子供、それを助けようとする大人たちがいる反面、子供を殺す大人がいて、大人を殺す子供がいる。