その14

静かな病室だった。
ピッピッと、機械音が規則正しく空間をたたく。
続きになっているナースステーションでは忙しそうに看護士たちが働いていた。
となりのベッドには生後間もない赤ちゃんが静かに眠っている。
20代だろうか、若い母親が心配そうにベッドのそばで我が子を見つめている。
細い腕に点滴の管がつながれていた。
淳一はうつろに天井を見つめている。
長い眠りから覚めた、ぼんやりとした状態のようだ。
私たちのことが判っているのかどうか、話しかけても黙ったままジッと空間を見つめていた。
無理もない、3週間近く眠らされていたのだ。
時折、空間を手で払いのけるようなしぐさをした。
幻覚を見ているらしい。
数日経つと一言二言話すようになるが、長い間気管に管を挿入されていた為、すぐに咳き込んでしまう。
「お父さんが連れていってくれない」と意味不明なことを言う。
妻と私がそばにいると、「もう帰りぃ」と手で追い払うようなしぐさをする。
そして、時折すすり泣く。
哀れで、悲しかった。
「ICU症候群っていって、長い麻酔の眠りから覚めた時とか医療機器に囲まれた状態で治療が長引いた時とか、精神的に弱くなる時期があります」
とT医師は見慣れたように言う。
そして、3回目の化学治療を示唆した。
白血球がかなり立ち上がっていたからだ。
前にも書いたが、淳一の骨髄は並はずれて元気だった。
通常快復してくるのに3週間から4週間掛かるところ、2週間足らずで骨髄の数値は上昇してくる。
それとともに、LD(腫瘍マーカー)も徐々に増えてくる。
イタチゴッコだ。
ガン細胞は化学治療の間、正常な細胞とともにじっと鳴りを潜め、肉体から薬が引き始めると、またぞろ活動を開始してくる。
抗ガン剤治療は効果があるのだろうか。
この疑問は常に私の頭の中を支配していた。
私はガンに関する本を読み、新聞に載る記事に目を凝らした。

この頃の私は1冊の本にミスリードされていた。
慶應義塾大学医学部放射線科講師の近藤誠が書いた「患者よ、ガンと闘うな」である。
10年前に出版されたその本は衝撃的な題名から、医学界を巻き込んでの大きな話題となった。
<抗ガン剤は一部を除いてほとんど効き目がない。むしろ、副作用によって命を縮める>
<手術偏重主義で、外科医たちはいたずらに患者を痛めつけている。放射線治療が後回しにされている>
<「早期発見が有効」である証拠はなく、検診の効果は証明できない>
<告知は100%するべき>
<過酷な治療は拒否し、「ガンと闘う」という間違った常識を変えるべき>
本の要点はこんなところである。
抗ガン剤は小児がんや白血病に効き目が認められるが、日本人に多い胃がん、肝臓がん、大腸がんには効果がないと主張する。
がんが発見された時、それが1mmとするとすでにガン細胞の数は1億ほどになっており、それが悪性の場合はもうすでに血流に乗って転移が始まっているはずで、転移しているのであるなら原発病巣に治療を加えても効果がない。
むしろ、過酷な化学治療は患者の身体を痛めつけ、その副作用で寿命を縮めることが多いと主張する。
がんの中には放っておいても進行しない「がんもどき」があると自説を述べる。
そして、最終章ではこんな文章が続く。
<人は夢や希望をもつことが大切とよくいわれます。しかし、ことがんに関しては、それはあてはまりません。いやむしろ、夢や希望をもつことは有害とさえいれるでしょう。なぜならば、夢や希望にすがった結果、からだを切り刻まれ、たんなる毒でしかないものを使ってしまうからです>
<これまで患者や家族が悲痛にあえいできたことについて、がんと闘う、という言葉にも責任があったように思われます。つまりこれまで、闘いだから手術や抗ガン剤が必要だ、と考えられてきたわけですが、そのために過酷な治療が行われ患者が苦しんできた、という構図があります。しかし考えてみれば、がんは自分のからだの一部です。自分のからだと闘うという思想や理念に矛盾はないのでしょうか>
<がんは老化現象ですが、それはいいかえれば“自然現象”ということです。その自然現象に、治療という人為的な働きかけをすれば、からだが不自然で不自由なものになってしまうのは当然です>
諦観した文章で綴られている。
この本が発表され話題になっていた頃、がんを患った著名人たちが治療の体験を本に書いたりテレビで告白したりして、がんとの壮絶な闘いが社会の感心を集めていた。
衝撃的だったのは逸見政孝氏のガン告知だった。
テレビで「私の病気はガンです」と告白し、マスコミはその後の逸見氏を追った。
スキルスガンという言葉がオカルトのごとく恐怖を煽り、ガンという病の前では「やっぱりガンは治らないのか」の絶望感が蔓延する。
そんな中で発表された「患者よ、がんと闘うな」は国民が抱いていたガン医療への失望感を巧みに取り込んで、ベストセラーになった。
がんに立ち向かっている医者自身からの発表だったので、医学界にも衝撃を与えた。
著者近藤誠氏はテレビに頻繁に出演し、その本を批判する医師たちと議論を繰り返していた。
マスコミ受けしたのは近藤氏の簡潔な言い回しと雄弁さであり、強引だなと思いながらも妙に説得力があった。
私もうなずいたひとりだった。
「がんから生還して戻ってきます」とか「頑張ってがんに打ち勝ちます」とか言っていた有名人たちはことごとくこの世を去り、その後はがんとの壮絶な闘いだけが報じられる。
意気込んで闘ってもダメなのではないか。
闘う以外にも選択肢があるのではないか。
そう感じたのは私だけではないだろう。
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)という言葉が使われるようになったのはこの頃からだ。
直訳すれば、「生活の質」だが、医療の世界では「尊厳を保ちながら、よりよく生きる」という解釈となる。
がんの末期医療において延命を目的にする治療よりも、患者が「今生きている時を大切にする」という考え方から積極的な治療を行わないというものである。
私は「患者よ、がんと闘うな」を興味本位に読んだ後、その後の議論やそれを批判する本を全く読まなかった。
その為、「がんになると、無駄な抵抗をしないほうが良い」という諦めに似た考えを持ち続けることになった。
息子のがんが判ってから、私は再びこの本を読み直した。
だから、担当医から抗ガン剤や摘出手術などの説明に、うなずきながらも疑問を感じていた。
しかし、闘わないという選択肢はないのだ。
闘わないで、じっと死を待つなんて出来る訳がない。
淳一は高校へ進学して好きなバスケットをしたいと思い、必死で闘っているし、医師たちは何とか助けようと一生懸命に頑張ってくれている。
私はさらに、がんに関する本を数冊読んだ。
ノンフィクション作家中島みちは35年前に乳ガンを患った経験を持ち、姉を皮膚がんの誤診がきっかけで亡くしている。
著書「がん・奇跡のごとく」はかなり進行した病期で治療を受け、その後、社会復帰してほぼ十年経過した六人のがん患者を取り上げ、その闘いの過程を書いている。
自らのがん体験から、がん治療の可能性を検証している。
1%でも助かる可能性があるなら闘うのは当然であり、奇跡的な治癒は起こりうると書く。
そして、近藤誠氏の立場を批判する。
また、「患者よ、がんと闘うな」を徹底的に分析し、詳細に反論しているのは癌研究会附属病院内科部長の丸山雅一氏のが書いた『がんと向き合う精神ー「患者よ、がんと闘うな」を読む』だ。
医学の専門用語が並び読みにくいところもあるが、その批判は非常に丁寧で論理的だ。
近藤氏の「がんもどき理論」を論破し、「検診は百害あり」のばかばかしさを徹底的に非難している。
「患者よ、がんと闘うな」の中で、作家千葉敦子さんの治療について紹介されている箇所がある。
千葉さんは自ら乳ガンを患って過酷な抗ガン剤治療を経験し、その体験談を数冊の本に書いた。
「患者よ、がんと闘うな」では千葉さんの抗ガン剤治療について批判的に書いているのだが、それに対して丸山氏はこう記している。
「何があっても生きるのだ、という強い意志の力があってこそ、患者は辛い治療にも耐えることができるのです。だから、苦しみの極地を生き抜いた千葉さんについて言えば、治療の選択肢はひとつしかなく、やり直しはきかなかったのですから、私ならばそれを批判することはひかえます。
千葉さんにとって、近藤氏の言う抗ガン剤治療を放棄することは生きたいという意志をも放棄することだったでしょうから、彼女はずいぶんと早く滅びたかもしれません。抗ガン剤の副作用に苦しんでも、初志を貫こうとした彼女の生き方に彼女の人生の価値のすべてがあるのではないかという考え方に私は傾いてしまいます」
「患者よ、がんと闘うな」はマスコミに煽られながら社会にセンセーションを巻き起こしたものの、医学の専門家たちからその主張の誤りを指摘されていた。
淳一が高度救急救命センターに運ばれた頃、私は医師に対して不信感を抱いていた。
それは「患者よ、がんと闘うな」を初めとする近藤氏の著書にかなり影響されていたからだ。
しかし、こういった類の本を読む時は必ず対論も読まなければならない。
それに医学に関する本は新しいものを読む必要がある。
何故なら、医学は日々に進歩しているからだ。
以前は1%しか望みが無かった病気が、現在では5%や10%になっているかもしれない。
患者やその家族は可能性がわずかでもその望みにすがりつく。

夕方、面会に行く。
淳一は天井を見て、ぼんやりしている。
そして、私を見て、「もう、帰って」とつぶやく。
妻を残して、そっと病室を出た。
早く、家に帰してやりたい。
冷たい病棟の廊下を歩きながら、心の底からそう思った。