その4
 
 




霊魂とか超常現象のたぐいを私はほとんど信じていない。
<ほとんど>で<まったく>ではない。
恐らく、今現在でも5%は<あるかも>なのだ。
幼稚な思考と思われるかも知れないが、5%の思考の根拠はこんなものだ。
自分の存在を考える。
地球があって、そこに私は住んでいる。
地球の他に、太陽系には火星・木星・土星・天王星・冥王星がある。
その外にはたくさんの銀河があり、またその外にはたくさんの銀河が形成されている。(はずだ)
限りなく広がっている。
しかし、果てはあるはずだと考えてしまう。
そしてまた、果ての向こう側にも世界があるはずだ。
それを永遠というのだろうが、永遠であろうが果ては無くてはならない。(私の思考では永遠が理解出来ていないということかも)
果てがあると、またその外に世界がなければならない。
回転木馬のような思考の行き着く先は「そしたら、自分の存在とは何か」と、考えている自分に戻ってくる。
不確かな存在を思ってしまう。
そうすると、幼稚な思考はどうせ不確かな世界なら霊魂も超常現象が存在しても不合理ではないじゃないかとなるのだ。
それで、5%の<あるかも>が私の心の中に巣くっている。

淳一に腫瘍の存在が判った時、その<あるかも>は80%に跳ね上がった。
それは8月末、妻が天橋立で見た幽霊が原因だった。
妻の幽霊体験の話をするには結婚当初にさかのぼらなければならない。
結婚して3ヶ月後に、義父がガンで亡くなった。
それからしばらくして、妻は私に言った。
「今年の正月のことだけど、家の車庫で幽霊を見たのよ」
冗談だと思っていたら、妻は真剣な表情だ。
それは寝屋川にある妻の実家でのことで、結婚前私は時々食事をご馳走になったりしていた。
「実際人が通ったのを、薄暗さで幽霊のようにぼやっと見えたのだろう」と私が言うと、「錯覚ではない」とはっきり言う。
それは車庫の横を、スウッと通ったらしい。
私は幻覚か錯覚だろうと聞き流していた。
それから数年して、妻の祖母が亡くなった。
祖母は義父が亡くなるまで、寝屋川で一緒に暮らしていたのだが、亡くなる時は別府にいる三女の家で暮らしていた。
葬式が終わってしばらくして、妻はまた「祖母が亡くなる少し前に、幽霊を見た」と。
見た場所は伊丹の家の中だという。
それから数年経ち、義母のマンションの隣りに住む人が自殺した。
義母と親しくしていた人で、近くの池から溺死体で見つかった。
しばらくして、妻はまた、その人が亡くなる前幽霊をみたという。
見た場所はまた、伊丹の家の中である。
さらに数年後、義母と同居していた親戚が亡くなる。
その人は義母の叔母さんにあたり、以前は別府にひとりで住んでいた。
身寄りが無く、歳をとって身体の自由が利かなくなってから義母を頼って伊丹にやってきた。
亡くなったのは2003年の11月、淳一の病気が判る1年程前のことである。
再び、妻は幽霊を見たと言う。
亡くなる少し前、また家の中で見たというのだ。
妻が幽霊の話をするたびに気味が悪いとは思うものの、私は一つ疑問を感じていた。
それは妻の話がいつも後付けであることだ。
妻は必ず、誰かが亡くなった後で、「亡くなる前に幽霊を見た」という。
妻はぼやっと見たかもしれないものを、誰かが亡くなった後で「見たはず」と思うようになり、「見たのだ」と確信していく。
そんな経過をたどっているのだと私は考えていた。
つまり、幻覚か妄想のたぐいだと思っていた。
それに他にも疑問はある。
幽霊を見た後亡くなる人たちに、一定の決まりがないということだ。
つまり、身内ばかりとは限らないこと。
マンションに住んでいる義母のお友達は全くの他人だし、義母の叔母さんにあたる人も血のつながりはあるものの、遠い親戚だ。
また、「この家系は男系(または女系)が早世する」などということがあるが、男女の別も一定ではない。
それにまた、見た幽霊が男であるか女であるか、若いのか年寄りなのかもはっきりしない。
そう考えながらも、私は気味が悪かった。
4月頃、妻が幽霊体験の話をした時、私はこういった。
「あのな、君が幽霊を見たと言うのはいつも、誰かが亡くなった後やからな。今度見た時はすぐに言ってくれない」
その年の夏は台風の当たり年だった。
8月の終わり、台湾へ抜かるかと思われた台風は進路を変え始めた。
夏休み最後の土日に、バスケットクラブの親しい仲間とその家族で天橋立へ旅行を計画していた。
天気予報は台風の上陸を伝えていたが、影響は日曜日の昼頃からだろうということになり、旅行を実施した。
3家族が車3台に別れ、土曜日の朝伊丹を出発する。
泊まる場所はご一緒したMさんの会社が保養所として使われている分譲マンションと一軒家だった。
マンションは最上階の角で、ベランダから入り江の絶景を見下ろすことが出来る。
周辺にはマンションや分譲家屋が建てられていた。
バブル経済が華やし頃、地元の不動産屋が関西企業の保養施設目的に応えるために建てたものだろう。
それぞれのマンション棟には室内プールやフィットネス、ビリヤードなどが完備されていて、宿泊客はどの施設も使うことが出来る。
和室を入れると20畳は優に超えるマンションのリビングで焼き肉を食べ、夜はみんな揃って、他のマンションにある室内プールへ出かけた。
入り江に面した辺りには田圃が広がっており、ところどころには白いマンションが夜のとばりにヌッと突っ立っている。
シーズンを過ぎた日本海の観光地は呆けたように間が抜けていた。
特に夜の道路には街灯が少なく、薄暗かった。
ほんの2.3週間前なら、若い海水浴客でにぎわっていたに違いない。
宿泊するマンション棟からプールのあるマンション棟への送り迎えは妻の役目だった。
妻は下戸でアルコールを全く受け付けず、みんなが飲んだ後は運転手になった。
小さな子供がいる家族もあり、妻は車で何度か往復した。
室内プールで泳いでいた私を迎えに来た妻が震えるように言った。
「見た」
「え?」
私は一瞬何を言っているのか分からず、聞き返す。
「何を見たん?」
「幽霊」
「はぁ、どんな?」
妻が見たのは男の老人で、車の前をスウッと通り過ぎていったという。
「幽霊と違うやろ。本当に人が歩いていたのと違うん?」
「人があんなところを歩いている訳ないし、絶対人とは違う」
妻ははっきりした口調で言う。
辺りは薄暗い。
「こんなに暗いから、見間違いやろ。実際、人が歩いていたんや」
薄気味悪さを感じながら、私は否定する。
妻は再び、「見た」というので、帰り道にその場所を通った。
車はマンションの駐車場を出て、真っ暗な道を走った。
あたりは台風が来る前のなぎた状態で、空気は穏やかだった。
「ここ」
妻はその場所で速度を落とした。
両脇が田圃で、道の下には農業用の用水路が横切っていた。
「こんなに暗いんやからな。実際人が通ったのやろう」
「いや、あんなところで消えるわけないし。確かに、お爺さんだった」
今まで妻がみた幽霊は男女の区別がわからないと言っていたのに、その時だけははっきりと男性で老人だという。
「いや、絶対勘違いやて」
臆病な私は気味悪さを振り払うように、否定した。
9月に入って、私はその事を忘れていた。
しかし、息子の腫瘍が判った時、棚からトスンと落ちてきて私の心に居座った。

幽霊の話を書くなんて、息子を亡くした親として、不謹慎じゃないかと思われている方もいらっしゃるだろう。
私自身も書くことに迷った。
しかし、淳一が入院し厳しい闘病生活を送り、様々な体験をしていく過程で、私はこのバカバカしいことから離れることが出来なかった。
淳一が亡くなり百箇日を迎えようとしている今なら、冷静に振り返ることが出来る。
その時は違った。
通勤途中、車窓の景色を見ながら涙を流した時も、まんじりともしない夜を過ごした時も、このバカバカしいことが頭から離れない。
仕事の途中除霊センターという看板を見つけては玄関先まで出かけたり、十字架のある教会に入りそうになったり。
宗教心のかけらもない私が霊媒師や牧師などにすがろうとしたのだ。
家のポストに入っている宗教の冊子をこっそりと読んだりしたのだ。
この時の私はちょっと背中を押されるだけで、霊媒師に法外な祈祷料を払っていただろう。
しかし、思いとどまった。
病院という特殊な空間の中で、そんなくらだないことを考えている余裕など全くなくなってしまった。
次々と厳しい現実が待ちかまえていた。
ぼやっとした幽霊の映像と違って、現実ははっきりと目の前に現れる。
残酷なほど鮮明な映像を私や家族の前に、突きつけてきた。

(この話の補足だが、その後妻に「もう、幽霊を見てないやろうな」と冗談のつもりでいうと、「実はあの後、家の中でもう一回見たのよ」と言った。困ったものだ。)