その6
 
 




ふと目が覚める。
暗闇からすすり泣く声が聞こえてくる。
妻が私が寝ているベッドの横に座って、肩を振るわせていた。
掛ける言葉が見つからない 。
私は黙ったまま真っ暗な空間を見つめいた。
妻と私、そして娘の亜由美は、息子また弟の病気という同じ荷物を背負うことになった。
その荷物の重さはみんな同じだ。
しかし、感じる深さはまたそれぞれ違うように思う。
妻の受けた衝撃は私や亜由美よりも、深いものだった。
その違いは淳一とともに過ごした時間の長さの違いだ。
妻が淳一と過ごした時間は私や亜由美の数倍、数十倍も長いはずだ。
誕生以来、妻は淳一と頬を寄せ合うように過ごした。
中学生になるまで、枕を並べて寝ていた。
震災の時、1階で寝ている妻と淳一の上に、ピアノが倒れた。
とっさに妻は淳一の上に重なり、怪我することも無かった。
小学校3年生の時から少年バレーボールのチームに入ったのだが、妻は保護者の代表となって練習や試合に付いていく。
学校以外はほとんど行動を共にしていた。
それだけに妻にとって淳一の病気に対する衝撃は激しく、その辛さは深いものだったろう。

眠れない夜は長い。
あれこれ考えながら、まんじりともしない時間を過ごした。
淳一は隣りの部屋で眠っているようだ。
以前は淳一がベッドから落ちるドスンという音で、私は目を覚ましたものだ。
淳一が自分の部屋でひとり寝るようになったのは中学に入ってからのことだ。
小学生の頃はひとりで部屋にいるのをたいそう怖がっていた。
それが中学に入ると、急に大人びてくる。
思春期に入って、親が煙たくなってきたようだ。
父親の私とほとんど口を聞かなくなってしまった。
夕食を食べると、すぐに自分の部屋へこもってしまうのはこの頃からだ。
しかし、入院以後、淳一は二度とこの部屋で寝ることは無かった。

何とかしなければならないという、焦燥。
これから何が待ちかまえているのかという、不安。
入院前はそんな感情がない交ぜになり、心の置き場所が見つからない。
出来るだけ人には黙っていようと思ったが、我慢出来なくなって、何人かの人に話をした。
しかし、気持ちが軽くなるわけも無く、じっと黙って耐えることが出来ない自分の弱さに情けなくなった。

病室の窓際に立ち、外を見下ろす。
万博公園の緑が一面に広がっている。
その向こうに太陽の塔の後ろ姿が見え、その南にエキスポランドの観覧車が小さく見えている。
10月12日、9階西925室に淳一は入院した。
病院では中学生までが小児科の扱いになるのだが、小児病棟に空きベッドが無いため、外科病棟に入った。
エレベーターを9階で降りると、デイルームと呼ばれる広い待合室がある。
南向きの広い窓から、眩しいほどの光が射し込んでいる。
病室での生活に飽きた患者たちはここでテレビを見たり、食事をしたりする。
横に小さな部屋が二室ある。
患者や家族が医者から説明を受けるカンファレンスルームだ。
病棟には病室以外に大小の部屋が用意されている。
最近よく、「インフォームド・コンセント」という言葉を耳にする。
医者が患者や家族に病状や治療経過をよく説明し、患者は納得した上で治療を受けるというものだ。
アメリカから伝わった言葉だが、日本でも最近広く使われるようになった。
「医者のいうことを黙って従え」調の、高段から見下す医者が多い日本の医療界への警告でもあるのだろう。
阪大病院でも「インフォームド・コンセント」には細心の注意を払っているようで、私たちは 病棟のあちこちにあるカンファレンスルームで頻繁に病気の説明を受けることになる。
入院した日の夕方、早速外来で診察したI医師が現れ、デイルームの横にあるカンファレンスルームで説明があった。
4人用のテーブルと椅子が置かれている。
私と妻が座って待っていると、I医師が遅れて入ってきた。
落ち着いたしゃべり方で、出来るだけ感情を抑えて話そうとしているのが分かる。
入院前にしたMRI検査や血液検査などの結果を話し、腫瘍の位置や大きさを淡々と説明する。
「もう少し検査をしないと、腫瘍が何かは特定出来ませんが、腫瘍は九分九厘悪性だと考えられます」
そう言った後、悪性リンパ腫の疑いがあることを告げた。
縦隔に出来た腫瘍がリンパに転移しているのか、リンパに出来た腫瘍が縦隔に転移しているのか、検査の結果ではまだ判らなかった。
胸骨の裏側と首の付け根のリンパに腫瘍があることは事実だった。
良性であることに一縷の望みを掛けていた私は座っていた椅子にぐったりと身体が沈むのを感じた。
I医師はゆっくりとした口調で、腫瘍について一般論を話す。
人間の身体は約60兆もの細胞で出来ている。
一口に60兆というが大変な数だ。
地球の人口が60億を少し超えたくらいだから、細胞の数は地球の人口の1万倍の数になる。
そして、ひとつの細胞の中には24組の染色体があり、遺伝子組み込まれている。
ガン細胞は何らかの作用で、その遺伝子の配列が狂って発生する。
かといっても、ガン細胞がすべて病気を引き起こすのではない。
実際には、人間の体内でも毎日100万個くらいのガン細胞が生まれているのだが、人間の身体はそう簡単にガンという病気を発症しない。
何故なら、病気に至るまでに体内の抑制作用(リンパ球)が働いて、ガン細胞は死んでしまうからだ。
ただ、抑制作用が弱くなると、ガン細胞は死滅せず増殖を始める。
正常な細胞は死滅と再生を繰り返すが、ガン化した細胞は一旦増殖を始めると、止まることなく増殖を続けていくのだ。
喫煙、高カロリーの食事、紫外線や放射線などに発ガン作用があることはよく知られている。
妻が心配していた流産防止薬も、わずかであるが発ガンの要因になる。
また、家族の遺伝によって一定のガンに罹りやすい体質であったり、日常のストレスにより発ガン作用が高まることもいわれている。
しかし、それらは遺伝子という小さい小さい細胞の中で起こることであり、何故遺伝子の配列が狂うのかは判らないのだ。
淳一の場合、ガンで亡くなった祖父がいるし、生まれる前に流産防止薬も使っている。
それに小学校のバレーボールや中学のバスケットボールで数々のストレスを受けている。
でも、同様に流産防止剤により誕生し、スポーツでストレスを受けている人間は世の中に数え切れないほどいる。
みんな元気に生きて、大人になっている。
タバコを一日2箱も吸って、酒を浴びるようにして呑んでいる人が元気に街を歩いているではないか。
I医師の話を聞きながら、私は「クラブで疲れて帰ってきた時、毎日暖かい風呂に入れてぐっすりと眠らせていたら、発病しなかったのではないか」、「スポーツなどさせずに家でゆっくりと過ごさせていたら、ガン細胞が増殖し始めるのを防げたのではないか」と思うのである。
ガン細胞が抑制作用をかいくぐって増殖を始める一瞬というのはあるはずだ。
その時に何とかしてやれなかったのかと思う。
今更そんなことを考えても、詮無いことだが。
現実に、淳一の胸には腫瘍がある。
目の前の医師はそれを99%、ガンだと告げている。
「今までいろいろな検査をしましたが、もう少し検査が必要です。組織を採って、どんな種類の腫瘍なのか、確認する必要があります」
狭いカンファレンスルームに、I医師の声だけが冷たく響く。
「腫瘍の種類が判明してから、手術が出来るのか、化学治療をするのか、放射線治療をするのかを検討します」
説明は終わると、医師は足早に病棟の方へと消えた。
妻は淳一が待っているのを気にして病室へ向かうが、私は生々しい説明を聞いてすぐ淳一の顔を見る気が起きず、デイルームの椅子に座って気持ちが静まるのを待った。
デイルームには数組の患者と面会客が話をしている。
誰も見ていないテレビがニュースを流していた。
その日、臨時国会が召集され、小泉首相が所信表明演説する姿が映し出されていた。
演説の内容は郵政民営化推進表明だった。
その後、郵政民営化法案は政治闘争の中でダッチロールを繰り返し、衆議院を解散を経て成立するまでに1年近くを要することになる。
その1年は山あり谷ありの淳一の闘病生活と重なる。
廃案になりそうな法案は成立し、淳一はその1ヶ月前にこの世を去った。

入院の2日後、生体検査のため簡単な手術が行われる。
その後、化学治療が始まり、そして、2度目の生検で私たちは予想もしない事態を経験することになる。