その7
 
 




10月に入って、台風が22号・23号と続けて上陸し、月末には24号が接近する。
中旬は台風の合間の晴れ間が広がった。
10月14日、生体検査の日は秋晴れの気持ちよい天気だった。
生体検査とは腫瘍細胞を直接病巣から採取し、その組織を検査をして、腫瘍の種類を特定するものだ。
悪性なら抗ガン剤の種類や放射線治療の方法など、これからの治療方針が決まる。
原発病巣から組織を採取することが出来るなら、それに越したことはない。
しかし、内臓の奥にあったりすると大掛かりな手術が必要になる。
その頃、淳一は首の付け根の左下辺りが少し腫れていた。
リンパ腺の腫れである。
縦隔にある腫瘍がリンパ腺に転移しているのか、リンパ腺にある腫瘍が縦隔に転移しているのか、その時点でははっきりしていない。
I医師が「悪性リンパ腫」の疑いを言っていたのはリンパ腺が腫れていたからだ。
生検は首の左側の付け根を5cmほどメスで切開し、リンパにある組織を採取するものだった。
縦隔にある大きな腫瘍から採取するのがベストなのだが、リンパにも腫瘍が見られるので、そこからの採るほうが負担が少ないと考えたのだろう。
30分程度の簡単な手術だった。
その後、組織検査の結果が出て病名が判るのに、1ヶ月近く掛かる。
生検の時に、中心静脈カテーテル(IVH)という点滴用の管を入れることも行われた。
今後の治療では血液採取や点滴の投与が頻繁に行われる。
その都度、腕の静脈に注射針を入れるとなると、患者に負担を与えるし、高濃度の薬を入れる際に液がこぼれて血管が壊死する危険もある。
そのため、鎖骨のすぐ下から直接大静脈へ細いカテーテルを挿入して、そこから血液を採取したり抗ガン剤を注入したりする。
その細いカテーテルを中心静脈カテーテル(IVH)というのだが、淳一の胸から突き出たその白い管は毎日血液の採取や薬の投与に使われることになる。

その日午前中、私は営業担当と得意先に同行した後、昼から病院へ向う。
病室に入ると、淳一は横になり、イヤホンを付けテレビを見ていた。
病室は4人部屋で、2つのベッドは窓に面しており、後の2つは廊下側にある。
淳一のベッドは明るい窓際だった。
窓から見下ろすと、 万博公園の緑が広がり、その遠く向こうには梅田のビル群がかすかに見えていた。
ここが病室で無かったら、思わず声を上げたくなるほどの眺望だ。
それぞれのベッドはカーテンが引かれていて、付き添いや面会者がいないと、ほとんど物音が聞こえてこない。
後に移動した小児病棟とは違って、静かな空間だった。
その日は廊下側の患者のところに数人の面会者が来ていた。
会社の同僚のようだった。
肺を患っていて、手術のために絶食をしているらしい。
部屋に入るとき、ちらっとカーテンの隙間から見えたが、患者は極端に痩せていた。
「早く元気になってな」
同僚たちが励ましながら、ゴルフの話をしている。
「また、一緒にまわろうな」
談笑が終わって面会者が帰ると沈黙が戻り、本をめくる音だけが聞こえてくる。
向かいの窓側にいる老人は少し前に集中治療室(ICU)から病室に戻ってきたばかりらしく、ほとんど物音をたてることなく寝入っている様子だった。
横になっている淳一の鎖骨辺りに、白いガーゼが見える。
傷口が痛むらしく、寝返りを打つのもつらそうだった。
「痛かったんか?」と訊くと、黙ってうなずく。
生検は局部麻酔で行われたため、手術器具の音や医者の話し声がはっきりと聞こえたらしい。
夕食は1階のコンビニで買ったインスタントラーメンを作り、寝たままの淳一に妻が少しづつ口に運んでいた。
病院の夕食は早い。
6時に館内放送が流れ、それぞれが廊下まで名前の付いたトレイを取りに行く。
デイルームで食べる人もいるが、ほとんどは病室で食べていた。
病院食は肉料理と魚料理が交互に用意され、献立は変化に富んでいたが、 味が薄口でお世辞にも美味しいとは言えない。
はっきりした味を好む子供にとって、大人以上に食べづらかっただろう。

生検の四日後、 造影剤を注射してのCT検査をした。
検査のために、数日前から食事制限をする。
その頃、バスケット仲間のKA君とMU君が頻繁に見舞いに来てくれた。
つい3ヶ月前には、ともに暑い体育館でバスケットをしていた仲間たちだ。
彼らは今高校を目指して勉強をし、中学最後の生活を楽しんでいる。
淳一はベッドに横になりながら、1ヶ月以上登校していない学校の様子を聞いたりしていたようだ。
休日がくるたびに、二人が来るのを楽しみにしていた。
しかし、淳一が面会を楽しみにしていたのとは裏腹に、元気で学校に通っている同学年の子供を見る私の気持ちは複雑だった。

事態は悪化していた。
首の付け根の腫れがひどくなり、 顔は鬱血したように むくんでいる。
右の胸が少し腫れていた。
10月21日、再び9階デイルーム横のカンファレンスルームで説明を受ける。
I医師に、小児科のT医師が同席した。
本来淳一の歳だと小児科になるのだが、空きベッドがないために外科病棟にいる。
もうすぐ小児科へ移動するのだが、外科にいる時からすでに小児科のT医師が担当医師として診察をしていた。
そこそこ歳をとった男の医師を想像していた私は、最初に紹介されたとき、拍子抜けしたのを覚えている。
私の前に現れた医師は、大学のキャンパスで出会うと、学生と間違ってしまいそうな、若い女医さんだった。
以後1年近くの間、T医師は常にカンファレンスに同席し、頻繁に病状の説明を丁寧にしてくれ、いろんな話し合いをする。
確かに話やすく、こちらが訊ねたことにははっきりと応えてくれ、妻や亜由美の支えになってくれた。
しかし、常に難病と闘う大病院の医師だけに、少女のような容姿とは違って、男より気が強い性格のようだった。

ライトビュアーに数枚のCT画像が掛けてある。
初診の時に見た淳一の胸の画像と、その後に撮った背骨と腰の画像が並べられている。
再び、I医師が説明を始める。
腫瘍がかなり大きくなってきていること、リンパ線の腫れがひどくなっていることなど、前回の説明を繰り返した。
そして、ひとつのショッキングなことを告げた。
転移である。
脊椎の画像に向かい、骨が重なっている一部分を指した。
「ここの部分の色が他と違うでしょう」
わかりにくかったが、よく見ると確かに他と比べて少し黒くなっている。
脊椎は首から腰まで、30個の骨で出来ている。
その中には神経が通っており、脳から発信される信号を身体全体に伝えている。
手足が動くのも脳からの伝令が脊椎を通り、手足の神経に伝わるからだ。
30本の内、背中には12本の骨が重なっている。
「ここに腫瘍が転移しています」
上から2本目と3本目の間が若干黒くなっているのが分かる。
それはPET診断で写された画像だった。
PETとは陽電子放出断層撮影といわれるもので、最近成人病検査で使われるようになった。
がん細胞は正常な細胞の3〜8倍ものブドウ糖を取り込む性質があるらしい。
そこで患者にブドウ糖によく似た、ごく微量の放射線を出す薬剤を注射する。
それを特殊な機械で断層撮影すると、局所にある小さなガンでも見つけ出すことが出来る。
機械が高価なため、この診断が出来る病院は限られているという。
腫瘍が良性なら転移はしない。
隣りで聞いている妻がハンカチで涙をぬぐっている。
I医師はテーブルに置いた紙に、胸部の図を描き、腫瘍の位置を描きいれる。
そして、手術で腫瘍を取る場合、どこまで切り取らなければならないかを示した。
「腫瘍はかなり大きいので、手術で取る場合、広い範囲を切らなければなりません。そうすると、淳一君に掛かる負担が大きいので、今の状態では不可能だと思います」
説明を聞きながら、私は時折ライトビュアーに写っている腫瘍を見つめた。
肺を押しのけるように、色の変わった丸い映像が写っている。
腫瘍の摘出手術の場合、腫瘍の大きさよりかなり広い範囲を切り取る必要がある。
手術は腫瘍を全部取り去らないと意味がないのだ。
何故なら、残った腫瘍がまた増殖し始めるからである。
「化学治療や放射線治療をしてある程度小さくしないと、取ることが出来ません」
I医師は慎重に言葉を選びながら話す。
腫瘍は辺りの臓器の壁面にも浸潤していると考えられる。
このままの大きさだと、肺、食道などの臓器を一部分取らないといけなくなる。
「出来るだけ早く、化学治療を始めなければなりません」
事態は急速に悪化の道を転げて落ちている。
「本来なら検査結果から、腫瘍の種類を特定してから、その腫瘍に効く抗ガン剤を投与していくのですが、淳一君の腫瘍はかなり大きくなっています」
ガンはこうして説明を受けている間も、淳一の身体で増殖を続けている。
「抗ガン剤を投与する場合、いろんな弊害を覚悟しなければなりません」
副作用についての説明が続く。
抗ガン剤はガン細胞を攻撃すると同時に、正常な細胞にも影響を与える。
ガン細胞だけをたたく抗ガン剤はない。
ガン細胞の増殖を押さえると同時に、正常細胞の活動も抑制するのだ。
代表的なものに、骨髄機能を抑制する。
骨髄は血液細胞を作るところだ。
血液は白血球・赤血球と血小板で出来ている。
白血球は身体に入ってくるばい菌や病原体を攻撃して駆除し、赤血球は肺から取り入れた酸素を身体に運び、血小板は血を止める役割がある。
抗ガン剤はこれらが精製される骨髄の機能に大きな影響を与える。
白血球が少なくなると、ばい菌からの防御が弱くなり、感染症に罹りやすくなる。
他に、肝機能の障害、腎機能の障害がでる。
表面的には激しい吐き気と嘔吐があり、髪の毛が抜ける。
さらに、食欲不振になり、下痢になったり、口内炎が出来る。
説明を聞いている私は憂鬱な気分になる。
「髪の毛が抜けてくるので、年頃の子供さんは精神的にショックを受けたりしますが」
そう言っているI医師の頭髪はかなり薄かった。
「それも、化学治療を終えると、また毛は生えてきますからね」
笑えない冗談のようだった。
肉体への影響は精神状態に響く。
著しく焦燥感が強くなるという。
抗ガン剤の苦痛が耐えられなくて、窓から飛び降りた人の話を聞いたことがある。
副作用のことをよく知っている医師がガンに罹り、抗ガン剤の経験について、「いてもたってもいられなくなるような気持ちになり、病室の窓を開けて外へ飛び出しそうになった」と書いていた。
それは大人の話だ。
大人になりきらない15歳の淳一に耐えられるのだろうか。
「何か、お聞きになりたいことはありますか」
一通りの説明を終えたI医師が気の毒そうな表情を浮かべて言う。
「ううん」
話の内容が重すぎて、私はすぐに言葉が出てこない。
沈黙に気づかって、T医師が口を開く。
「副作用といっても、個人差がありますし。みんなに症状が現れるとは限りません。それに、現在では大分副作用を抑える薬もありますし、吐き気を抑える良い薬も出来ています」
医師はこんな重たい話を家族に告げることには慣れているのだろう。
T医師が続ける。
「ガンを発症して入院している子供さんはみんな化学治療をしています。1歳にならない赤ちゃんだって、頑張っていますから、大丈夫ですよ」
仕方なく、私はうなずいて見せる。
「あのう、淳一の顔がひどくむくんでいるのですが、大丈夫なんでしょうか」
妻が質問した。
入院する前から、少し顔がむくんでいた。
それがここ2.3日ひどくなっていた。
「腫瘍のある縦隔には心臓から出ている血管、肺へ酸素を送る気管、それに食道が通っています。淳一君の腫瘍はかなり大きくなっていますから、それが圧迫していると考えられます。このあたりが、かなりひしゃげているでしょう」
I医師はCT画像の一部を指さした。
胸部を横に切り取った画像が20枚程度ある。
首の下あたりから下の方へ、順番に切り取って写しているため、気管や食道の管が上の位置と下の位置でどんな状態になっているか比較できる。
腫瘍があるあたりでは管が押されて細くなっているのが判る。
「血管がかなり圧迫されているために、血液が流れにくくなっていますから、うっ血している状態になっているのでしょう」
私たちが心配そうな顔をしているのを感じたのか、 「大静脈の他にも小さい血管はたくさん通っていて、それが補助しますから、そう緊急にどうのということはありませんから」と付け足した。
「確かに」
少し間をおいて、T医師が言葉をつなぐ。
「これ以上大きくなっていくと、気管を圧迫することになりますから、それは気を付けないといけないですが」
この心配は後日現実のものとなる。
「とにかく、早めに化学治療を始めないといけません。小児内科でどの薬を使うかを検討して、数日後から始めたいと思います」
I医師は締めくくるように言った。
そして、話が終わろうとするとき、T医師がおもむろに口を開いた。
「小児科ではほとんどの患者さんに告知しています。自分の病気を知ってもらって、治療にあたっています」
冗談じゃない。
告知なんて、絶対出来ない。
酷すぎる。
私は心の中で叫んだ。
「いや、それは止めて下さい。淳一はまだ子供ですし。気持ちが強い子供でもないから、絶対落ち込みます」
私は高ぶった気持ちを抑えながら、言う。
妻もうなずいている。
T医師はその反応を予想したかのように言った。
「治療が長引いていくと、なんで良くならないのだろうと疑問を持ったりします。最近、インターネットや本などで、簡単に病気を調べることが出来ますから、自分の病気を知った時にかなりショックを受けますし。そうなると、病院やご両親に対して、不信感を抱いたりするようになります。最近は病気を受け止めさせて、治療する流れになっています」
「でも、やっぱり、告知は止めて下さい。中学生ですから、ガンという病気が怖いということぐらいは知っています。あまりにも、可哀想です」
私のかたくなな態度に、「すぐに告知するということではありませんから、少し考えて置いてください」と言って、T医師は告知の話を打ち切った。
しかしその後、淳一は12月24日、クリスマスイブの日に告知を受けることになる。

5日後、化学治療が始まった。