金川淳一アルバム・想い出5
 
 
 
  
それは意地悪な神様の投げた石ころが偶然淳一に当たったようなものだ。

中学生総合体育大会の阪神大会が終わってしばらくした8月初旬、胸が痛いと言いだした。
初めは打ち身か何かだろうと整骨院へ行く。
レントゲンの結果、異常なしということだった。
夏休みが終わって、2学期に入っても胸の痛みは消えない。
近所の内科医院で再びレントゲンを撮ってもらう。
その結果、何か陰のようなものが見えるという。
伊丹市民病院でCTを撮ってもらうと、腫瘍らしきものがくっきりと写し出されていた。
大阪大学医学部附属病院で精密検査を受ける。
病名は横紋筋肉腫。
小児ガンの一種だ。
説明では数十万人に一人の病気で、淳一のように胸に発症するのはその内の1%程度とのことだった。
それから、淳一と私たち家族との地獄の日々が始まった。
小児科ではたくさんの子供たちが難病と闘っている。
どの子供たちも人に気づかうやさしい子供たちだ。
自分が苦しいだけに、人の痛みが分かるのだろう。
淳一も人にやさしく接し、小さな子を可愛がっていた。
一緒に写っている子供たちは今も病気と闘いながら生活している。

公園で元気に走り回っている子供たちと難病に苦しむ子供たち、一体誰が分けへだてしているのだろうか。
メイク・ア・ウッシュという団体を紹介してもらった。
難病と闘っている子供たちに、ひとつだけ希望する夢を叶えてくれる。
淳一はあるバスケット選手のビデオレターを希望した。
そのバスケット選手は現在アメリカにいる。
様々な方向から手を尽くしてくれ、その人からビデオレターが送られてきた。
写真は2月13日、メイク・ア・ウッシュの人がビデオレターを持って病室に現れた時の記念写真。
左下には担当医T医師も同席している。
ビデオレターとともに、その選手がいつも身につけていたリストバンドもプレゼントされた。
そのリストバンドは今、天国で淳一が付けている。
11月、病巣から組織を採る生検で呼吸困難になり、生死を淵をさまよった。
胸の腫瘍が大きくなり気道を圧迫したのが原因だった。
1ヶ月近く、人工呼吸器を付けた状態で特別救急センターにいた。
人工呼吸器を付け意識の無いまま、2クール目の化学治療が始まる。
これが効くかどうかが生死の分かれ目だった。
幸いに薬が効いて、人工呼吸器が外された。
長い眠りから覚めた淳一は精神的に落ち込み、身体は化学治療のために弱っていた。
そんな淳一を医師や看護士さんたちがクリスマスプレゼントや音楽で励ましてくれる。
写真は治療の影響で手が震える中、担当医に送ったクリスマスカード。
3月24日、大量化学治療をする。
通常の10倍の抗ガン剤を投与し、ガン細胞を死滅させるものだ。
副作用のつらさは大変なもののようだ。
今まで泣き言を言わなかった淳一も妻に「助けて」と訴えたという。
上の写真は大量治療を終え、元気な姿が戻った時のもの。
とにかくバスケットをしたがった。
再び元気になって、バスケットをすると口癖のようにいっていた。
バスケットのテレビゲームに興じ、NBAのビデオを観ることで退屈な時間を費やした。
少し体調が良くなった時、1階の駐車場でバスケットボールを衝いた。
生き生きとして、楽しそうだった。
化学治療はガン細胞を退治すると同時に、成長する元気な細胞も痛める。
血液を精製する骨髄を痛め、白血球や赤血球、血小板に影響を与える。
化学治療はこの骨髄の快復を待ちながら進めていく。
淳一の骨髄は異常に強かった。
普通立ち上がるのに3週間を要するところ、1週間から10日程度で快復している。
その為、化学治療のペースが人よりも速かった。
亡くなるまでに12クールも経験している。
吐き気や倦怠感。
その苦しみは想像を絶するほど過酷だった。
本人しか分からないことだが。
化学治療では外見的には髪の毛が抜ける。
アートネーチャーがそんな子供に70万円を超える程の高級なカツラをプレゼントしている。
淳一も応募した。
出来上がったカツラを恥ずかしそうに被った。
淳一は泣き言を言わず、良くなることを信じて過酷な治療に耐えた。側で見ていると、目を伏せ耳を覆いたくなるような気分だった。

7月に入ると、腰が痛みだした。
ガン細胞が肺や膀胱などに転移していた。痛みが激しく頻繁に痛み止めを打った。
8月が過ぎ、脊椎に転移した腫瘍の為、足が動かなくなった。
胸やお腹に水が溜まり始める。
淳一は痛みに顔をしかめることが多く、無口になり笑い顔はほとんど見られなくなった。
痛みに苦しむ息子を見ていると、どこかの国が間違って原爆でも投下して、私も含めてみんな一緒に消えてなくなればどんなに楽かなあと思ったものだ。
写真は亡くなる3日前、突然車椅子に乗ると言い出した。
10分もすると、痛み止めが効いているせいか、眠ってしまった。

●最期の朝

9月16日は良い天気だった。
私は会社へ行く途中車で病院まで行き、朝の6時45分病室に入った。
泊まっていた妻と長女の亜由美が淳一のベッドに寄り添っている。
妻が酸素吸入器を淳一の口に掛けている。淳一は眠ったままだ。
手にはバスケットボールが置かれている。
何か尋常でない雰囲気があった。
妻と亜由美は落ち着いている様子なので、私はデイルームでおにぎりを食べた。
病室に戻ると、二人が淳一に声を掛けている。
が、呼吸が薄く反応がない。
看護婦を呼ぶ。
二人の看護婦が気管に溜まったタンを取り除くが、呼吸はさらに薄くなっていく。
慌てて二人の医師が病室に入ってくる。
妻と亜由美は叫ぶように淳一に声を掛ける。
足に取り付けたセンサー(血液中の酸素濃度測定器)が危険を知らせる音を鳴らす。
ピッピッピッピッ、何度も鳴り出す。
みんなで身体をさすり、何度も声を掛ける。
センサーの数値が30を切り、0に近づいていく。
「淳一、がんばれ」とみんなで叫ぶ。
再びセンサーが上昇する。
しかし、それもつかの間、また0に近づいていく。
やがて、淳一は全く反応しなくなった。
担当医が病室に現れた。
胸に聴診器を当て、ペンライトで瞳孔を確認する。
7時53分と告げる。

病室にはまぶしいほどの明るい日差しが差し込んでいた。