朝の4時近くになっていた。
装飾を取り付け始めたのは昨日の閉店後8時だから、かれこれ8時間が経過していた。
いつもは遅くとも、最終電車が行くまでには終わっていたのだが。
手間取ったのは正面入口の上に付けることになっていた吊り下げ幕の取り付けだった。
時間がかかったのは吊り下げるための金具の調整に手間取ったことと取り付け業者の段取りの悪さが原因だった。
1カ月前のテナント販促委員会で、クリスマスセールを盛り上げる為、館内へ入る入口付近に吊り下げ幕を装飾することが決まっていた。
明日からクリスマスセールで、装飾の取り付けはその前日に行う。
館内館外の装飾をし、抽選会場の用意をする。
様々な取り付けを点検し、すべてが終わったのが4時過ぎ。
夜通し館内を動き回ると、さすがに疲れてくたくたになった。
翌日、少し遅れて会社に出勤し、昼からテナント会の販促委員長へ挨拶に出かけた。
薬局のオーナーでもある販促委員長のSさんは出っ張ったお腹を隠すかのように、ダボッとした白衣を着てレジーの前に立っておられた。
挨拶に現れたボクを見て、
「あれは目立たんな。紅白にせんといかん」と開口一番言った。
吊り下げ幕の色はグリーンと赤だった。
高架下にあるこの店舗は他の高架下の店舗とイメージを異にするため、かなり気を使っていた。
チラシやポスターのイメージに外人のモデル(撮影費用が年間400万円)を使っていたし、装飾全体も意識して落ち着いた雰囲気にしていた。
しかし、テナント会役員のメンバーというのは個人商店のオーナーが多く、しかも、50を過ぎたオジサンたちだった。
市場感覚しかないメンバーたちに、ショッピングセンターのイメージを崩さないよう説得するのが一番の苦労だった。
クリスマス抽選会の賞品には必ず、バスでいく温泉旅行(片山津温泉1泊日・皆生温泉1泊2日)が候補に上がったりした。
それも個人旅行が人気の時代に、当選者が団体で行く温泉旅行なのだ。
制作物はすべて、カラー原稿でテナント会の役員に確認していた。
「クリスマスカラーで統一すると、テナント会で決めたはずですが」
とボクが言うと、
「年末の売り出しはやっぱり派手なほうがええ。紅白に変えてくれ」ととりつく島もない。
ボクの堪忍袋の緒はかなり太く出来ているのだが、疲れも手伝ってか、ぷつんと音をたてて切れてしまった。
あれほど手間取って取り付けたのにあっさりとやり直しを言われたことに、まだ青かったボクはキレてしまった。
ボクは話の途中に関わらず、黙って席を立って出ていった。
仕事は決まった手順をもって進行する。
広告の業界においても、慎重に確認をしながら進める。
ショッピングセンターのセールを実施するときには様々な制作物が必要だ。
チラシ、ポスター、装飾、抽選券などなど。
それらの原稿を作り、お客様に確認を取る。
装飾などは取り付けた状態をわざわざカラーの図面にして見せるのだ。
そんな慎重にことを運んでも、前述のように実際取り付けた状態を見てから文句を付けるケースは多い。
手順・段取り・確認・根回しなどは全く意味が無くなってしまうのである。
しかし、そんなことでキレてしまうのは人生経験の不足であった。
結局、テナント会ではキレたボクが悪者になり、上司に連れられて役員さんの店をひたすら頭を下げて回ることになった。
世の中に、怒った後で頭を下げる程情けない行為はないだろう。
こぶしを振り上げたが、振り上げたこぶしで頭をかくような格好である。
数日後、吊り下げ幕は紅白になった。
そこには正しいかどうかというのはなく、「お金を払っている立場」か「お金を頂いている立場」でしかない。
営業になって間もない頃、個人塾の先生と親しくなった。
枚方の住宅街の一角にあり、自宅を教室にしていた。
生徒募集の印刷物や野立ての看板の仕事を頂いていた。
その先生は美人とは言えないが、清楚で知的な雰囲気を持った女性だった。
話がよく合い、仕事の話はそっちのけで、会社のことから塾の実状や果ては個人的な家庭の話に及ぶこともあり、訪問時間も自然と長くなった。
当然、訪問することが楽しくもあった。
枚方市駅に空き看板が出たので案内すると、ふたつ返事で掲載を了承してくれた。
駅看板は目立たなければならないので、人が多く流れる中央位置は効果があり、料金もそれに準じている。
その看板はホームの真ん中にあった。
案内するときは図面に赤い矢印を付け、写真を添付して見せる。
図面で見ると、ど真ん中の階段横にある。
だが、難点がひとつあった。
昼間の時間は枚方市止めの区間急行がその前に止まり、15分後に淀屋橋へ発車する。
発車すると同時に、次ぎの区間急行が入ってくるのだ。
つまり、看板の前に電車が止まっていない時間はわずか3分足らずである。
案内する前からそれが気に掛かったので、そのことを正直に告げ、「必ず、現場をみてください」と念を押していた。
その後、原稿内容を決めデザインを見せ、最終確認をして看板掲出となった。
掲出後しばらくして、先生から電話があった。
「ちょっと、あれはないよ。全く目立たない看板じゃないの」
今までとは違う強い調子だった。
豹変するというのはこういう時に使う言葉なのだろう。
了解の上で掲出したことを言うと、「だました」というニュアンスの表現も飛び出した。
先方に足を運んで納得してもらおうとしたが、以前のような打ち解けた雰囲気はなく、「お金を払う立場」と「お金を頂く立場」にはっきりと分かれていた。
そして、頑なに拒否反応を示した結果、「お金を払わない立場」と「お金を頂けない立場」になってしまった。
その以後、この立場の違いを意識しながら営業生活を送っていたが、再三に渡って痛い目にあった。
この痛さは売り上げ金額の大小に関わらず、襲ってくるのである。
それは顧客というものはどんなに小さい金額であっても、「お金を払う立場」に立つからだ。
だから、過小な金額の仕事で、苦情を受ける痛さはまた格別である。
「おいおい、そんな小さなことで、文句を言うなよ」と言いたくもなるのだが、「ドアホ、こっちは金を払っとるのじゃ」となる。
お終いに、自分の間違いを全く気づかずに、「お金を頂く立場」のせいにする「お金を払う立場」の人を紹介しておく。
ある大学の入試課にH次長という人がいる。
色黒で早口でしゃべり、冬でも長そでのカッターシャツの袖をまくり上げていた。
いつも入試の案内時期になると、B2の駅貼広告を頂いていた。
その時は急きょオープンキャンパスの広告をしたいとの電話であった。
訪問して打ち合わせをしたのだが、どうもB2とB1の大きさを勘違いしているらしく、B2の駅貼をしきりにB1と言い間違えていた。
(解説:B1はB2の倍の大きさ。駅貼広告にはB2とB1がある)
この人、大変思い込みが激しいらしくボクの名前もよく言い間違いをし、「金井さん、金井さん」と呼んでいた。
ボクが「B2の駅貼りですね」と念を押すと、「そうそう、この大きさや」と壁に貼られたB2のポスターを指さしながら、「B1で頼むで」とまた、間違う始末。
印刷は我が社ではなく他の印刷屋さんが担当していたので、ボクは出来た印刷を受け取って手配したら良いだけだった。
一抹の不安を感じながらも、現物の大きさを見せて発注するから大丈夫だろうと思い直した。
不安は的中した。
数日後、慌てた調子で、H次長から電話があった。
「金井さん、印刷屋が紙の大きさを間違いよって、倍のB2で作ってしまいよった」
自分の思い違いを全く意に介さないヤカラというのは世の中にたくさんいる。
「印刷屋を怒鳴りつけたってん。B1の金しか払わん(まだ、勘違いをしている)と言ったら、青い顔して帰っていきよった」
無神経という特権の下に、哀しみを背負った人間が必ずいるのだ。
結局B2の駅貼が急きょB1の駅貼になり広告料が上がって、ボクのほうは棚から落ちてきたぼた餅を美味しくいただいた。
反対に、そのぼた餅を頭に受けて、痛い思いをしている印刷屋さんがいた。
ボクはぼた餅を食べながら、何か背筋に寒いものを感じた。
その寒さは一年後、印刷の仕事に異動となり、現実となった。
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