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スナックにて



三浦「人間はな、間違いを犯しよる。何でもないことでもミスをするんやな」
清水「確かに、そうですね」
三浦「そやから、人間が介在することが多い仕事ほど、間違いが起きやすいちゅうことや」
清水「印刷なんて、その典型ですね」
三浦「オイ、お替わりや」
チーママ「まあ、三浦さん、今日はピッチが早いんとちゃいます」
アケミ「ほんま、ミーさん、別人みたいやわ」
三浦「俺の金で呑むんや、ほっといてくれ」
チーママ「はい、はい、判りました」
三浦「デザインから始まってな、データ校正、製版、色校正から最終のフィルム校正やな。それで校了してから、まだ刷版、印刷、製本があって、やっと納品や」
清水「ほんまに、たくさんの工程がありますね」
三浦「それに何人もの人間が関係しているから、どっかで間違いが起きるんやな」
清水「そうですね」
三浦「この前も京浜電車の仕事でな、デザインから色校正まで順調に進んで、納品にこぎつけたんや。順調に進んでホッとしてたら、納品の日に南山電車の運輸部から電話があって、<うちに京浜電車のチラシが納品されてまっせ>てな」
清水「納品の伝票を書き間違えたんですね。画竜点睛を欠くというのか、今まで苦労して仕事を進めてきて、最後の納品ミスはズシッと堪えるますね」
三浦「最近は広告代理店なりデザインプロダクションの奴らがデータまで入力して、完全データでくれよるから昔みたいに版下もってウロウロ動かんでええしな。それだけに、ちゃんと出来て当たり前みたいなところがあるわな」
清水「確かに楽にはなりましたけど…」
三浦「完全に出来て当たり前やから、常に防衛戦みたいなものやな」
清水「顧客も当然完璧を求めるから、どこか文句を付けたろと思って身構えているところがありますね」
三浦「そうや。この前も出来たパンフレットを納品に行ったら、文句をつけたろという構えでジロジロ見てるんや。それで、何も問題がなかったと思ったら、納品した梱包のくくり方が悪いぬかしよる。おまけに500梱包で頼んだとぬかしよる。おい、この水割り、薄いで。ダブルでくれ」
アケミ「ミーさん、もう5杯目よ。飲み過ぎとちゃう」
三浦「ほっといてくれ言うてるやろ。商売げのないスナックやな。今日は久しぶりの後輩に会えたから、嬉しいんや」
チーママ「へえ、先輩・後輩の仲ですか」
アケミ「えらい、先輩やな。何の先輩なん?」
清水「ええ、三浦さんはマス研の先輩でして」
三浦「こら、マス研いうても、マスターベーションを研究する会と違うで。マスコミ研究会やで」
アケミ「何言うてんのん。スケベオヤジ。そのぐらい、うちにも分かるわ」
清水「阪急の東通商店街歩いていたら、偶然三浦さんに会ったんです。大学卒業して会ってなかったから、10年ぶりですね」
三浦「どっちも印刷屋の営業してたとは奇遇やな、清水」
清水「ボクなんか卒業してからずっとですから、よう続いていますわ」
三浦「そうやな、印刷の営業ちゅうのはほんまに神経つかう仕事やし、毎日残業の連続やからな、よう続いてるで」
清水「ボクなんか、新婚の時から毎日遅うてね、嫁さん、いつも文句ばかり言ってます。この前も実家に帰ってしまって、連れ戻すのに難儀しました」
三浦「俺の家も同じやで。<私の家は母子家庭>って、いつもほざいとるがな。広告代理店やプロダクションの連中を相手しとったら、どうしても遅なるがな。訂正のデータが返ってくるのはいつも、夜になるからな」
清水「そうです、そうです。大体、校正の返事って、夕方以降ですものね。それから、データの訂正する訳ですから
三浦「それにいつも納期ぎりぎりでデータを作るさかいな。綱渡りみたいなことばっかりしてる」
清水「サーカスやないですよね」
三浦「ママ、水割りのお替わりや」
チーママ「大丈夫、三浦さん、いつもは5杯が限界や言うてはるのに」
アケミ「ミーさん、年末みたいに倒れても知らんよ」
三浦「うるさいな、小姑みたいに。ほんまに、商売気のないスナックやな!」
アケミ「大きな声、出さんといて。他のお客さんもいるのやから」
三浦「清水、遠慮せんと、飲めよ。アケミは俺の女やさかいな、かまへんから遠慮はいらん、触りたかったら触れよ」
アケミ「ここはお触りバーと違うよ、アホなこと言わんといて。誰がこんなオジン、相手にするか」
三浦「照れてんのかいな」
アケミ「知らん人が聴いたら、ほんまに思うやないの。やめて」
三浦「清水、気安い店や、遠慮せんと飲めよ」
清水「すみません。遠慮なくいただいてます」
三浦「さっきから、気になってたんやけど、清水、イキなライター持ってるな。デュポンやないか」
清水「この春、嫁さんの親父さんが亡くなって、その形見で貰ったんです」
三浦「ほう、やっぱり美味いな、デュポンで吸うタバコは」
清水「先輩、タバコ吸うてはりましたか」
三浦「印刷の営業するようになってから吸うようになったんや。イライラすることばっかりやからな。本数も増えるがな」
清水「大学の時、吸うてはりませんでしたね。酒も余り呑まないほうでしたし。女のほうはよういってはりましたけど」
三浦「女は止めたけど、酒とタバコは増える一方や。ストレス溜まるからな。この前もな、データの打ち間違いで、10万枚のリーフレットが藻屑となってしもたがな。清水、京都に清凉寺って、寺があるの、知ってるか」
清水「確か、嵐山のほうですね」
三浦「そうや。その 清凉寺 の凉というのはサンズイの涼と違って、ニスイなんや。それがや、最終の校正まではニスイになってたんや。それがやな、最後の最後になって拝観時間の一部が変更になって、訂正をしたんや。そしたら、うちのデザイナーがな、 清凉寺の箇所をまるごと打ち変えてしもたんや。まさか、 清凉寺まで打ち変えているとは思わへんがな。清涼寺はサンズイになって印刷納品されてしまったんや」
清水「へえ、それで許してくれんかったんですか」
三浦「当然のことやけど、間違うたもの配布でけへんと言われてな、まるまる刷り直しや」
清水「そりゃ、きついですね」
三浦「1ミリの点があるかないかで、10万枚がパーやで」
清水「アラスカのパルプ材が無駄になったんですな、もったいない」
三浦「ワシの会社の間違いやから、仕方がないけどな。二・三日寝覚めが悪かったで」
清水「パソコンが発達して、確かに便利になったけど、入力するのは人間ですからね」
三浦「そうや。版下がある頃は手慣れたオペレーターが入力してたけどな、パソコンでデザインするようになって、デザイナーが自ら入力までするから、なんか訳のわからん打ち間違いが多いんやな。この前もな、醍醐に随心院いうお寺があるんやが、そこで<はねず踊り>いう祭りがあるんや」
清水「知ってます。2月の梅の時期にある祭りですね」
三浦「そうや。観梅のパンフレットを作ってたのやが、はねず踊りの写真のキャプションが<はりねずみ踊り>になってたんやな。その校正を見て、スポンサーの人は<冗談ですよね>と笑ってはったけど、デザイナーは本気でそう思ってたんやから。こっちは笑えんがな」
清水「ハハハッ、デザイナーいうたら、感覚の仕事ですからね、なんか、入力作業に向いてないような気がしますよね」
三浦「常識ってものがあるやろ。まあ、デザインいうたら、バクー、ボワーとした仕事やからな。それにB型の奴が多いからな」
清水「そうですね。確かにB型が多いですね。先輩は?」
三浦「実はワシもB型や。嫁さんがA型でな、B型は大雑把で無神経やって、いつも言うとるな。B型同士が仕事進めてるんやから、何か起こらんほうがおかしい言いよる」
清水「ボクはA型ですわ。先輩には失礼ですけど、B型と仕事すると何かストレスが溜まるんです。打ち間違いのことですけど、この前、不動産のチラシでケッタイな文字がありまして」
三浦「刷り直しかいな」
清水「いや、スポンサーとデザインの打ち合わせをしている時に気づいたことですけど、住宅に<高規格住宅>ってありますでしょ、それが<高槻住宅>ってなってましてん。スポンサーもそれ見て、笑ってましたけど。デザインプロダクションに頼んでデザインをしてもらったんですけど、担当のデザイナーいうのが間違いが多い奴なんですわ」
三浦「それも笑えん話やな。コラッ、ママ。水割りのお替わりや」
チーママ「ほんまに大丈夫、そんなに呑んで」
三浦「バカッ。酒や、酒や、酒持ってこい!」
アケミ「ミーさん、倒れても、よう面倒みんよ」
三浦「ほっとけ、大丈夫や。しかし、清水、お前も苦労しとるな」
清水「いや、まだ、デザインしてる段階やったから、笑ってられるんですけど。ちょっと前に納品した議案書なんか、悲惨でした。ある組合の定期大会に使う議案書なんですけど、会計監査の項目があるでしょ。組合の定期大会は儀式みたいなものやから、ほどんど印刷物を読み上げるだけです。だから、間違った箇所をそのまま読んでしまうことがありますわ。それが<組合費の使途について、厳正に監査した結果、適当に処理されており>となってましてん。<適切に>が正しいんです。会計監査の人、気づいて言い直したんですけど、みんな大爆笑やったそうです。そりゃ、ウケますわ。その年に組合費使い込んで辞めた奴がいたんですから」
三浦「ハハハ、おもろいけど、笑えんな。ウィッ。そう言えば、昨日、ワシの班の営業が危うく間違い見逃すところで、冷や汗かいた言うとったな。ウィッ」
清水「危機一髪セーフですか」
三浦「スタンプラリーのチラシを制作しとったんや。大きな見出しがな、<スランプラリー>になってたんや。最後の校正が終わって印刷に回そうとした時、何気なく見とって気づいたんやて。大のおとなが 何遍も校正しとったのに、気づかんかったんやからな。その営業マン、背筋が寒うなったいうてな。ゲップ」
清水「案外、大きな文字は見逃してしまいますね。それより、先輩、大丈夫ですか」
三浦「このくらいの酒、どうもないがな。 ウィッ、ゲップ」
清水「しかし、印刷の業界にはたくさん、そんな目に遭っている人いるんでしょうね。マス研の中にも、広告関係に就職しているものも多いから、冷や汗かいているものもたくさんいますよ」
三浦「ウィッ、相田と佐伯の奴も、広告代理店にいてるらしいな。ウィッ」
清水「覚えてます、佐伯さんって。いつも縞模様のTシャツ着てた人ですよね。みんな、苦労しているのでしょうね。印刷の仕事で」
三浦「おそらく、そうやろうな、ゲボッ」
清水「誤植、校正ミスの被害者の会を作らないといけませんね」
三浦「ウィッ、被害者の会か、ハハハッ、ゲップ」
清水「被害者の会作りますから、三浦先輩には会長になってもって」
三浦「おもろいやないか、ウィッ、でもな、俺はキンタマや!」
アケミ「いややわ、大きな声でキンタマやて」
三浦「ゲップ、協力はするけどな、ウィッ、自らは入らない…ウィッ」
清水「パチパチパチ、面白いですね、それ」
三浦「オオイッ、ママ、ウィッ、ミ、ズ、ワ、リね」
チーママ「もう止めといたほうがええよ、三浦さん。身体が揺れているよ」
アケミ「目もすわってるよ」
三浦「じゃかましい!お前は黙っとれ。ウィッ。」
アケミ「キャッ、まだ、どさくさにまぎれて、触りよった。このオジン」
清水「先輩、そろそろ、帰りましょか。駅まで送りますから」
三浦「アホ、これからやないか。ヴェー」
アケミ「わああああ、こんなとこで吐いたら、イヤヤ」
三浦「ゲボッ、らいじょうぶや、ウエー」
チーママ「大丈夫やないですよ、ちょっとトイレに行きはったら…」
三浦「ゲボッ、ウエー」
アケミ「わああああ、早く、トイレへ行って」
三浦「ちょっと、おトイレへっと」
清水「先輩、トイレまで歩けますか」
三浦「らいじょうぶ、らいじょうぶ、ヨッコラしょっと」
清水「フラフラやないですか。足元に気を付けて」
三浦「ら・い・じょ…。ドスン、ガッタン」
アケミ「ああ、危ない、あ〜あ、転けはった。大丈夫?」
チーママ「大丈夫、三浦さん、三浦さん、三浦さん…」
アケミ「ミーさん、ミーさん、ミーさん…」
清水「先輩、大丈夫ですか、先輩先輩、先輩先輩、…」



拝敬
先日はお世話になり、ありがとうございました。
先輩に10年ぶりにお会い出来て、懐かしい思いでした。
先輩が私と同じ印刷の仕事をしておられると知り大変励みになりましたし、供通の悩みを抱えているようで、何だか嬉しくなりました。
人間は必ずといって良い程間違いを犯すもので、それによってまったく予期しないようなことが身に降りかかってくるものです。
先日もマンションのチラシを印刷したのですが、納品して間違いに気づいたのです。
敷地面積も建築面積もすべて、平方メートル(m2)が立方メートル(m3)になっていたのです。
こんな打ち間違いって、あるんですね。
当然、刷り直しになりましたが、何回も校正して確忍してたのにとつくづく情けなくなりました。
情けないことがもう一つありました。
あの日、先輩を家まで送っていって自宅に帰ると、テーブルに夕飯のおでんの横に離昏届が置いてありました。
妻の欄にははっきりと署名してありました。
妻はいつも女学生のような弱々しいまる文字を書くのですが、署名の字は力強く尖っていました。
妻の怒りと結心の固さを物語っているようでした。
ところで、先日のスナックの料金とタクシー代を私が払わせてもらいました。
大変申し訳ありませんが、 離昏のこともあり少し入り用なので、いくらか送金いただけませんでしょうか。
それから、デュポンのライターが見あたりません。
妻が離昏に際して、父親の形見なので返してほしいと言っています。
確か、先輩のズボンのポケットに入っていると思うのですが。
もし、お持ちでしたら、送っていただきますよう、よろしくお願いします。
                               敬愚