●TOP 

おしんことおみおつけ






息子の友達を塾帰りの車に乗せていて、その話に思わず笑ってしまった。
「先生が答案用紙を返してくれてん。99点やったから、ヤッタ!と喜んだんや。よう見たら、答案用紙が逆さまやったん。正面から見たら、66点や。ショックやった」
たわいのない内容でも、子供が話すと可笑しい。
「ここだけの秘密やけど、○○君、この前補習してる時、泣いとってんで」
先に車を降ろした友達のことを、その子は小声で話すのだ。
男の子が勉強で泣いていたという恥を暴露しているようだが、小声で話す様子がなんとも可笑しかった。

息子が少年バレーをしている時、こんなことがあった。
その日は練習試合で、息子たちのチームは調子が悪く負けてばかりだった。
監督は気持ちの緩んだチームにカツを入れるためだろう、激昂して子供達に体罰を加えたりボールを投げつけたりしていた。
それは少年バレーの領域を遙かに越えたものだった。
ボクは余りの体罰の激しさに「ここまでしなくても」と思いながら練習を見ていたのだが、ひとりのレギュラーの子がツカツカと、ボクに近づいてきた。
「つらいから、帰りたい」とでも言うのかと思ったのだが、その子は意外なことを言ったのだ。
「オッチャン、見て見て!監督の髪の毛、立ってる」
コート横のパイプ椅子に座り、興奮している監督の頭頂部の数本だけ、天井に向かって立っていた。
その姿はサザエさんに出てくる波平さんのようで、間の抜けた感じなのだ。
ボクは思わず吹き出してしまった。
こっぴどく殴られているにも関わらず、子供の心は無邪気に現実とはかけ離れたところを遊泳しているようであった。

ボクの心がまだ、カリフォルニアの空のようにどこまでも青く、四万十川の清流のように澄んでいた頃、「オッチャン、アカセンって何するとこなん」「オッチャン、なんで男のヒトと女のヒト、唇くっつけてるん」なんてことを、家で働いている従業員に訊ねたりしていた。
羞恥をしらない子供心は見てはいけないドアの中を、無神経に覗こうとするのだ。
知らないということはまた一面でたくましさを持っている。

以下は息子が言葉を覚え始めた頃のことだ。
息子は食卓にある漬け物を見て、「おみこ」と言い出した。
家の者が食卓に置かれた漬け物を「おしんこ」と呼び、みそ汁を「おみおつけ」と言ったのを聞いていたのだろう。
その二つの言葉が重なり、漬け物を「おみこ」と言うようになったようだ。
幼い息子が続けて発すると、時折「おみこ」は「お○こ」に聞こえてきて、危険な感じだった。
その頃、息子を連れて京都へ遊びに行く機会があった。
お土産を買って帰ることになり、三条の「大安」の店内に入ったのだ。
突然、息子は並べられた商品を指さし、「おみこ」「おみこ」と連呼し出した。
その声は店内に響き渡り、やがて「おみこ」は「お○こ」と聞こえてきたのだ。
ボクは慌てて、子供を抱きあげて、パチンコ屋の喧噪に飛び込んだ。



京都三条の大安