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 男についての一考察

ラット

2000年3月17日の朝のことである。
場所は北海道恵庭市の農道。
幼稚園の送迎バスの運転手が雪の積もった路肩に、焼け焦げた物体を発見した。
よく見ると、人間の焼死体である。遺体は完全に炭化していた。
死因は頚部圧迫による窒息死で、絞殺の後灯油をかけられ、遺体は焼かれていた。
遺留品から千歳市の日本通運キリンビール事業所に勤務するH向香(当時24歳)さんと判明した。
北海道警察は容疑者を同所に勤めるO越M奈子(当時27歳)に絞った。
その理由は事件の夜、2人が一緒に会社を出たこと、アリバイが無いことだった。
そして、詳しく調べる内に、一人の男性をめぐるO越M奈子とH向香さんの三角関係が明らかになった。
日本通運キリンビール事業所は常駐する社員がわずか10人ほどの小さな職場で、その内女子社員は被害者と容疑者を含めて4人しかいなかった。
O越M奈子は1998年1月にアルバイトとして採用され、工場構内課に配属となった。
同じ工場構内課で働くY君と親しくなったのは同年5月頃である。
Y君はモトクロスやスノーボードが趣味のアウドドア派で、2人は週末になると車でレース場やスキー場に出かけていた。
その頃、O越M奈子は知人に「結婚したい」と漏らしていたという。
一方、H向香さんは1998年11月、アルバイトとして同社の自動車営業課に採用された。
当初、O越M奈子とは職場が違っていたが、翌年1999年7月に契約社員に昇格し、配車センターに配属となり一緒に働くようになった。
後の裁判で、同僚の男性社員は「それまでは、男性社員は主にO越M奈子さんと話していたが、H向香さんが来てからは彼女と話すことが多くなった」と証言し、検事にその理由を質問されると、「H向さんの方が、若くてきれいだったから」と答えている。
2000年の2月19日、薄野のスナックで行われた歓送迎会の二次会で転機が訪れる。
その席でY君はH向さんの隣りに座った。
あまり話をする機会のなかったY君はこの時の会話をキッカケに、H向さんに好意を抱くようになる。
歓送迎会から一週間後、Y君はO越M奈子とデートをするが、離れつつある気持ちから別れ話になってしまう。
Y君がH向さんに近づくにつれ、O越M奈子への気持ちが離れていくのである。
事件までの日々、M奈子はY君の動向を執拗に追跡し、Y君とH向さんが会っている事実を何度も確認する。
M奈子はその頃、元カレのTさんに相談している。
Tさんは「男というのは新しい女に興味を持つものだ」と、慰めにもならない事をM奈子に言ったりするのである。
そして、事件は3月16日に起きた。
検察側の主張によれば、「千歳市、恵庭市またはその周辺において、被害者に対し、殺意をもって、その頸部を圧迫し、同人を窒息死させて殺害し、その後、同日午後十一時頃、恵庭市北島所在の路上において、被害者の死体にコンビニエンスストアで購入して車に積んで置いたポリタンクの中の灯油をかけた上、火を放って焼損した」となる。

興味深いラットの実験例がある。
ラットのつがいで長期間飼って、交尾の回数を数える。
最初は頻繁に交尾するが、段々交尾の頻度が落ちてきて次第にオスはメスに関心を示さなくなる。オスがメスに飽きてくるのである。
そこへ、別のメスを入れてやると、オスは新しく入ってきたメスのところへ行ってすぐさま交尾を始める。
人間とは違い、ラットの場合は発情期があるので発情したメスを入れてやることが条件になる。そこで「発情しているか、もしくは発情しそうである若いメス」を入れると、すぐにラットはそのメスに関心を示し、交尾を仕掛ける。
しかも、常に新しいメスを求める。2番目のメスにもしばらくすると関心を示さなくなり、次第に飽きてくる。そこに3番目のメスを入れると、やはり新しいほうにいくのである。
この実験で、ほ乳類のオスがメスに求める価値は二つあることが判る。
つまり、若い個体であること、そして新しい個体であることなのだ。
ほ乳類のオスにはたくさんのメスと交尾をして、子孫を増やしていくという運命を背負っているからである。

だが、人間はラットとは違うはずだ。
ラットのような下等動物とは違い、人間は霊長類である。
崇高な人格に支配されていて、そういう本能を抑制することで誇り高い文化を築いてきたのでないのか。
ところが…。

将棋にはタイトルが7つある。
その内、名人位を獲得するのは最も難しいと言われる。
4段のプロ棋士になるとC級2組から始まって、毎年順位戦を戦う。
C級2組、1組、B級2組、1組と、勝つと上位に上がっていく。
一番上位のA級に上がり、その中で一番成績の良い者が名人への挑戦権を得る。
その名人位を通算5期獲得したものに永世名人の称号が与えられる。
永世名人は今現在大山、N原、谷川の3人だけである。
将棋という勝負の世界を生きる者の中でも、N原さんは非常に対局態度が折り目正しく、将棋一筋という姿勢が感じられた。
将棋は「自然流」と呼ばれ、派手な将棋ではなく、がっちりと腰を落とした将棋を信条にしていた。
それになんといっても、棋界の中で人格者として多くの信頼を集めていたのである。
私は日曜日のNHK将棋トーナメントを好んで見ていたのだが、対局しているN原さんが盤上没我で読みふけっている姿を見るにつけ、このお方は酒や女など下界の欲望とは全く関係のない世界を歩いている人なんだなあと思ったものである。
それが突如、愛人騒動で芸能ネタのやり玉に挙がったのである。
相手のH葉さんは女流のタイトルを総なめにしたほどの天才女流棋士で、なおかつ美人ときている。
ふたりの関係はH葉さんの強引なアタックから始まる。
ある夜、ホテルに宿泊しているN原さんの部屋へ、H葉さんが押しかける。
その頃のN原さんは全盛期で、将棋の強い人に憧れていたH葉さんにとって雲の上の人だった。
H葉さんのほうから、「大好き、大好きと言いまくった」という。
初老の男性は若い個体の攻撃に、あえなく沈没してしまったのだ。
ふたりの関係は週刊誌に明るみになるまで、落ち着いていた。
手記によると、SMの秘技にのめり込んでいたようで、道具を使った営みを楽しんでおられた。
余談だが、日本人は苦痛系の道具よりも拘束系の道具を使う人が多いといわれ、ふたりもロープや手錠などを使っていた(と思われる)。
それにしても、将棋界の重チンと呼ばれた永世名人がお尻の青いような女に撃チンされてしまうとは。

オスは若い、新しい個体を求める。
これは厳然たる事実のようである。
しかし、こんな風に書いてしまうと、男のおぞましさだけが浮き彫りにされてしまう。
表現を変えると、また違った見方が出来る。
「同棲時代」で有名な漫画家の柴門ふみ(さいもんふみ)はこんな風に書いている。
「女の愛はより深くであるのに対して、男の愛はより広くなのである」
うん、言い得て妙である。